年の瀬に思う
街を歩けば、人はみな、どこかせいたような顔つきで通り過ぎてゆく。
俺は長いこと、24時間365日体制の仕事をしてきたので、
カレンダーの感覚が抜け落ちている。
他人様の顔を見て、いよいよ年末だなあ…と感じるだけである。
明日辺りからは、道ゆく人の顔も、新年を待つ明るいものに変わるのだろう。
こんな俺でも、この時期にはぼんやりと、今年の出来事を振り返ったりする。
今年中に、あれとこれを決着つけておきたいな…などと考える一方で、
ふと浮かぶのは、亡くなった人の顔である。
話は少しそれるのだが、
俺のお袋は、ワケありの身で俺を生んでいる。
おかげで俺は、親父とは二回しか会ったことがない。
(ちなみに二回目は、親父の葬式だった)
初めて会ったのは、小学生のときである。
親父は俺に、野球のバッドをプレゼントしてくれた。
俺の家庭は簡単にモノを買ってくれない家だったので、
俺は親父に会えたことよりも、バッドをもらえたことが嬉しかった。
ところが新品のバッドを抱え、喜び勇んで家に帰ると、
お袋の表情が、豹変した。
そして俺からバッドを取り上げ、床に叩きつけて割ってしまったのである。
今思うと、二人の間には複雑な事情があったのだろうし、
相手の男(俺の親父だが)に、ずるい部分もあったのだろうと推測できる。
だが当時は訳がわからなくて、バッドを割られたことと、
自分の振る舞いがお袋を怒らせたのか…という悲しさで
俺はただ、涙が出てこないように、歯をくいしばるしかなかった。
そんな感じで俺は、親父という存在を知らずに育った。
しかしそのおかげなのか、天の采配なのか、
親父がわりと言える人には、たくさん出会ってきた。
とくに20代のうちに出会った人たちは、
俺を導き、守り、深い愛情を注いでくれた。
その絆は俺にとって、親子同然か、それ以上のものだった。
当時、20代の俺に対して、彼らはそれこそ20も30も年上だった。
だから、彼らのほうが一歩も二歩も先に、天に召されてしまったし、
あるいは現役バリバリだった頃とは異なり、弱った姿を見せるようにもなった。
俺も今や40代後半に突入しているわけで、当たり前の法則ではある。
俺は亡くなった人に対して、いつまでも感傷を引きずるような人間ではない。
別れの瞬間にはありったけの思いをこめて手を合わせるが、
それ以上は、「天から見守ってくださいよ」と、こころの中で頼むくらいである。
俺は今年も、親父と呼べる人間を一人、亡くした。
新宿に事務所を構えた頃から、俺を支えてくれた人だ。
葬儀のあと、事務所に戻る道すがら唐突に、新宿の街が色をなくして見えた。
一つの時代が終わったことを、俺は悟った。
しかし、亡くなった人の死を嘆く暇もなく、
俺の身辺には新たな解決すべき問題が降りかかり、新しい(素晴らしい)出会いもあった。
うまく言えないけれど、ある命は大事に使わなければと、単純に思う。
一年の終わりに、俺は、生きているのである。