素直力

先日、地元北九州の街中で、同級生のYにばったり会った。

 

このYってのは、かつてはしょーもない悪ガキで、

小学生のときには「Yと同じ中学になったら終わりや」と、

周囲に言わしめていたほどである。

 

案の定、中学では喧嘩は日常茶飯事だし、

教師まで殴ってボコボコにするわ、

交番に火炎瓶投げ入れるわ…

まあ、手のつけられない、とんでもない奴だった。

 

そんなYであるが、10年ほど前に俺が本を出版して、

北九州でサイン会を開いたときには、わざわざ駆けつけてくれた。

しかも赤ん坊を抱えて。

 

俺は思わず「お前、字ぃ読めたんかあ!!」と言ってしまったのだが(笑)

Yは、「押川は中学校んとき、勉強もできて、ちゃあんとしとったのに、

ひきこもる奴や、落ちこぼれる奴の気持ちも分かるんだから、えらいのう」

そんな言葉で、俺の本を褒めてくれた。

 

そして先日会ったときにもYは

「押川、本気塾の若い奴のことで、俺に出来ることあったらいつでも言うてくれよ。

俺の会社で面倒みちゃるからなあ」

と、こころに染みることを言ってくれた。

Yは自分の会社をもっていて、地元の若者の面倒をみることもあるのだと言う。

Yはすごく、いい顔をした男になっていた。

 

俺はYの年の重ね方をみて、こう思った。

「こいつ、年々、素直な人間になっちょうなあ!」

そしてそれは、俺にとって感動だった。

 

時代を狂わす40代」でも言ったけど、

特に俺の周りの同年代の奴は、年齢を重ねるごとに

屁理屈をこくこと、斜に構えたもの言い、ひねくれたモノの見方…

そういうことにばっかり、長けていく奴が多い。

俺には、それは成長ではなく、幼児退行にしか見えない!

 

Yと再会したことで、俺はこの「素直力」について、じっくり考えてみた。

 

Yはガキの頃、同級生からも大人からも「ひねくれた奴だ」と思われていた。

だけどYは、自分の思うことを、はっきり言っていただけなんだよな。

 

よくよく振り返ってみると、

Yがボコボコにした教師ってのは、

勉強ができる、できないで生徒を差別するような奴だったし、

交番に火炎瓶を投げ込んだのは、

同じ無免許でバイクを運転したにも関わらず、

金持ちの家の息子は見逃され、Yは補導されたからだ。

Yはいつも「怒るんなら平等に怒れや!」と叫んでいた。

喧嘩の理由にしたって、友達のためってのばかりだった。

 

周囲からどんなに煙たがられても、Yはそうやって言いたいことを言って、

やりたいことをやって大きくなった。

だからYは年とともに、よけいなものが剥がれおちて

どんどん素直な人間になっていったのかもしれない。

 

反対にひねくれた言動ばかりとるようになった大人は、

子供のころ、よっぽど素直に生きられなかったのだろう。

勉強ができる、行儀がいい…、そういういい子を演じてきたのか、

あるいは親から強制的に演じさせられたのか。

その反動が、今になって出ているとしか思えない。

 

俺自身はだんぜん、「素直力」で生きていきたいと思う。

そのほうが絶対にお得だと思うしね。

ノーベル賞とれるような天才じゃないのだから、

素直な人間同士、力を合わせて頑張るしかないのだ。

 

それに、日ごろ素直に生きている人間が、

ここぞというときに「これはこうだ!」「これは間違っている!」

と言うからこそ、ひとは耳を傾けてくれるんじゃないかな。

 

俺がすてきだなあと思うひとたちも、

いくつになっても、「素直」だしな。

だから俺も、全力でそのひとに尽くしたくなる。

 

Yに再会して、いいことに気づかせてもらった。

ありがとう、Y!!