カルチャー=DNA

年末のブログに書いたことだが、

俺が小林由美さんの、「カルチャー=DNA」という言葉に感銘を受けたのは、

長年、俺がもやもやっと考えていたことを端的に著す言葉だったからだ。

 

俺は北九州(当時は小倉市)で生まれ育ったが、お袋は宮崎の出身である。

お袋は、自分の親のことや生まれ育った環境のことなど、

なんでも包み隠さず話してくれるひとだった。

だから俺はガキの頃から、「同じ九州でも、福岡と宮崎では文化が違うらしい…」

ということを、うすうす感じていた。

 

年齢があがるにつれて、その思いは探求心に変わった。

たとえば、中学、高校の同級生たちは、ほとんどが同じ地域に住んでいたのだが、

「俺の親は佐賀出身だ」とか、「俺は子供の頃は長崎に住んでいた」とか、

そのルーツには、それぞれの歴史があった。

それを聞いてから、同級生をよくよく観察してみると、

仕草や、話し言葉にも地元の奴らとはちょっと違う部分があって、

俺は、面白いなあと思うようになった。

 

それから俺は、民族学の存在を知り、傾倒していった。

宮本常一や柳田國男…高校生の俺には難しいところもあったけれど、

面白くて、次々手にとって読んだ。

 

その経験は、今の俺にもつながっていると思う。

 

移送の仕事をしていたときには、依頼を受けると、

本人が住んでいる家だけじゃなく、その地域周辺まで、詳細に調査を行った。

依頼主から「そこまでするんですか?」と聞かれることもあったが、

俺にとっては、そのひと、その家族を知る手段として、すごく重要なことだった。

 

日本は、アメリカなんかとは違って狭い国だから、

「文化は一つ」みたいな漠然とした概念があるかもしれないけど、

実際は各地域によって、文化も風習も、食べるものも言葉(方言)すらも、大きく異なる。

俺はそのことを民族学で学び、さらに仕事を通じて経験で学んだ。

 

だからこそ「カルチャー=DNA」という言葉が、ズドンと胸に響いたんだな。

 

会社の同僚でも友達でも恋人でも、なんとなくソリが合わないってことがあるだろ?

たいていのひとが、「あのひととは性格的に合わなくて」とか、

「生理的に合わなくて」という考え方でやり過ごすけど、

俺は、育ってきたカルチャーの違いもじゅうぶんにあると思っている。

 

逆に考えれば、どっちが悪いとか正しいということじゃなくて、

文化が違うんだからしょうがない、という受け止め方もできる。

もし、本当に相手のことを知りたい、深く付き合いたいと思うなら、

カルチャーの部分まで理解して受け止めないといけないんだよな。

 

俺はいつも、その覚悟をもって、この仕事をしている。

それって、=DNAごと受け入れるってことだからな!

深いだろ!!

 

そうやって考えてみると、

東京っていう街は、俺も含め、地方から来た人間を丸ごと飲み込んでいる。

懐の深い街であり、だからこそ面白いんだなあと、思ったりするんである。