進化するか老化するか
日頃、何かとえらそうなことをブログに書いている俺だが、
つい先日、飲み屋のママにしこたま叱られてしまった。
このママというのは、新宿二丁目で長年、店を開いているひとである。
性別的に男か女か、そんな境界線はとっくに飛び越えて生きており、
人間として、俺の最も尊敬するひとの一人である。
話す内容は豊富な実体験に基づき、本質しか突いてこない。
だから俺もつい、足繁く店に通ってしまうのだが、
そのママが、俺に向かって言った。
「あんたも40代の真ん中でしょう? ここで、あんたの人生、決まるからね」
ママが言ったのは、以下のようなことである。
ひとはだいたい、大学を卒業した22、23歳で社会に出る。
その時期には、子供みたいだった人間でも、一応、パシッとする。
それが20年経った姿が、40代の真ん中なのである。
だからこそ、初めて社会に出たときの気持ちで、もう一度、頑張れるか。
その頑張り次第で、今後の生き方が決まるのよ……。
ママは長きにわたり、いろんな人間を客として見てきた。
二丁目では歴史のある店なので、それなりの企業に勤める人物や、
芸能人、有名なスポーツ選手なんかも来ている。
そのママが、しみじみと語る言葉である。
40代の真ん中で、もう一段、二段階と、人間を高めようと努力したひとは、
この先も、人間としての“生”を全うできる。
だけど、「私はこれでいいや…」と思ってしまった人間は、
ここから急速に堕ちていく。
見た目だけでなく脳みそも、老化が進み、一気に老け込む。
ぼけたり、病気で亡くなったり、ということも起きる。
それは運命ではなく、自分で招いた結果である。
ありがたいことにママは、俺の課題も教えてくれた。
それは、身なりや言葉遣いを、年相応の洗練されたものにしていくことだ。
俺はここ十年ばかりはとくに、カジュアルな服装ばかりしてきたし、
腹が立てば「なんじゃコラァ」と怒鳴ったりする、丸出しのスタイルを通してきた。
しかし、いい歳こいて、それじゃいかんのである。
なぜなら、カジュアルな服装も「なんじゃコラァ」の口調も、
俺にとっては、すでにじゅうぶん身についた、“ラク”なことだからだ。
いつまでも“ラク”をしていれば、身体も頭も、なまる。
ずっとフラットな生き方を通してきたひとなら、
これから先も変わらずフラットに生きていくのもアリだ。
だけど俺は、若い頃からつっぱって、
世間のレールからは、大きくはみ出しながら生きてきた。
つっぱってきた人間には、つっぱってきた人間なりの、
始末の付け方があるだろうと、ママは言う。
「あんたは本も書いて、テレビにも顔を出した人間だからね。
これからも進化、成長を遂げて、年相応の人間にならないと、みんな納得しないよ。
あんたがやった人生の始末をする、責任をとるのが、これからの人生でしょう!」
ママの言うことは至極まっとうで、俺は返す言葉がなかった。
そんなわけで俺は、今後、ネクタイを締めない限り、
この店には出入りできないことになった。
しかし、ママには感謝してもしきれないでのある。
俺はもう一度、自分を見つめ直し、
人間として一段も二段も高いところを、目指すつもりだ。