チャンスをつかむ生き方
月日の長さは違えど、ひとには平等に“生”が与えられている。
どうせ生きるなら、でかいチャンスに巡り会いたいし、
巡り会えたときには、がっちりつかめる自分でありたい。
毎度、思うことだけど、チャンスをつかめるひとっていうのは
「普段」を大事にしている。
自分の使命を果たすために、「普段」から、
それこそ命を削るくらいの勢いで、
試行錯誤し、行動を積み重ねている。
そういうことを長く続けていくと、
本質のところでしか物事を見なくなるし、本質の話しかしなくなる。
だから、周囲からは「このひと、何を言っているんだ?」、
「このひと、ちょっとおかしいのかな?」と、
キチガイのように見られたりすることもある。
でもそういうひとにしか、チャンスも成功もやってこない…
という事実を、俺は今まで何度も目の当たりにしてきた。
逆もまたしかり、である。
せっかく大きなチャンスをもらったのに、
それを見逃したり、乗り切れなかったりするひとがいる。
いざとなったら「あーでもない、こーでもない」って言い出して、
素直に乗らなかったりな。
俺は最近になって、こういうタイプのひとの、ある共通点に気づいた。
彼らは、「普段」は、やさしい物腰で、感じがいいひとで通しているのである。
体裁もよく、周囲からも「ちゃんとしている」と見られている。
それなのに、肝心なところで、大きなチャンスを逃してしまう。
俺が思うに、こういうひとは、
「普段」の時間を、ひとの顔色をうかがったり、ひとに絡んだり、
あるいは自分をどうよく見せるか、ということに費やしてしまっている。
ようするに、自分の使命に向き合っていないのだ。
それって実は、不真面目なひと、と言えないだろうか。
以前書いた「ひとの見抜き方」ではないけれど、
あなたの周りに、やさしくて、感じもよくて、ちゃんとしているのに、
なぜかチャンスに恵まれない、チャンスに乗り切れない、
そんなひとがいたとしたら。
もしかしたらそのひとには、
不真面目で、いい加減で、ひとたらしという、
もう一つの顔があるのかもしれない。
それに気づいてから、俺は改めて思った。
周りからキチガイだなんだと言われようと、
自分が成し遂げると決めたこと、信じていることに向かって、
めいっぱい邁進していく!
それでしか、チャンスはつかめないのだ!