みゃーみゃー言うな

俺は、「ストレス」というものを感じない人間である。

ヤバければヤバいほど、苦しければ苦しいほど、

楽しいと思ってしまうところがあるからだ。

だから世間で言うところの「ストレス解消」なんてものも、必要がない。

 

だけど唯一、俺が「ぐへー」となることがある。

 

それは、仕事の細かいところで、

「あーでもない、こーでもない」と言われることだ。

 

「ここはあなたに任せます」と言って役割分担しているのに、

鼻くそみたいな細かいことを、いちいち聞いてきたり、

俺がちょっと「こうじゃないの?」と指摘しただけで、

「あーでもない、こーでもない」と言ったり。

あげくの果てには「じゃあ、もうやめます!」と逆切れしたり…。

 

まるで、猫が「みゃーみゃー」鳴いているみたいだ。

 

もちろん、まだ若い人間が、

本当に分からなかったり、悩んだりして「みゃーみゃー」言うのは、

しょうがねえな、と思うし、アドバイスもできる。

 

だけど意外と、俺と同じ年代で、

しかも学歴や肩書きもちゃんと持っているようなひとが、

そういうことをするんだよな。

おっさんおばさんに「みゃーみゃー」言われても、

悪いけど、かわいくもなんともないぜ?

さすがの俺も、「ぐへー」と参っちゃうくらいだ。

 

俺は、こうやってすぐに「あーでもない、こーでもない」と言うひとって、

相手のことを、本当の意味で尊重していないんだろうな、と思う。

 

仕事っていうのは、絶対に一人じゃできないだろ?

だからこそ俺は、一緒に仕事をしている相手に対しては、

“尊重”の気持ちが、すごく大事だと思うんだ。

 

お互いがお互いを尊重していれば、

任せるところは任せて信頼する、

任されたところは、己の限界までやりきる。

そういう図式が成り立つはずだ。

 

ときにはぶつかり合うこともあるかもしれないけど、

相乗効果でよくなれるし、

絶対に、いいモノ、いい仕事ができるんだよ。

 

商売をする相手に対しても同じだ。

「買ってくれりゃーいいや」という気持ちでモノを売りつけるか、

「より良いモノを買ってほしい!」と思って、売るか。

相手を尊重するかどうかで、たとえ売り上げは同じでも、

その後の人間性は、大きく変わってくる。

 

いつも「みゃーみゃー」言っているひとが周りにいたら、よく見てみるといい。

仕草や言葉は丁寧かもしれないけど、

その中身、人間性は、びっくりするぐらい、軽いはずだ。

それは、他人を尊重するってことを、怠っているからに他ならない。

 

でも、仕事の仕組みの中では、そういうひとにも役割がある。

だから俺は、彼らにも気持ちよく頑張ってもらえるように、

一生懸命、話を聞くし、話をする。

そんなんで、よけいに疲れちゃうんだな。

 

俺は近ごろ、「みゃーみゃー」言わない=頭がいい

ってことなんじゃないか、とすら、思うようになった。

一切「みゃーみゃー」言わずに、己の役割を果たす、

それができるひとも、世の中にはいるんだぜ。

年齢や性別に関係なく、な。

 

俺はそういうひとに対しては、

“尊重”どころか、“尊敬”の念を抱いてしまう。

あんたのためなら、一肌脱ぐぜ!って、もっともっと頑張れる。

それが俺にとっての、最高の楽しみだな。

 

みゃーみゃーは猫だけにしてほしいもんだぜ!