生気る
年初の書き初めで俺は、「生気る」と書いた。
少し前まで、俺にとって「生きる」とは「生切る」だった。
俺は、だらだらとした人間関係を好まないので、
それまでどんなに密に付き合ってきたひとでも、
「もうお互いに刺激しあい、成長しあえることはないな」
と気づいた時点で、スパッと関係を断ち切ってきた。
でもだんだん年をとるごとに、
自らしゃかりきになって縁を切らなくても、そういう相手とは、
自然に距離があいてしまうものなんだな…ということが分かってきた。
というわけで、今年からは「生気る」である。
もうね、最近はとくに、俺の周りに、
いろんなヤバいことや悪いひとが集まりすぎちゃって(笑)
頭もない、財産もない、イケメンでもない俺は、
気持ち、気合い、気力…という「気」で乗り越えるしかないんだな!
俺は、この「気」の流れをよくするために、事務所の掃除も自分でやっている。
とくに文章を書いたり、資料を読み込んだり、集中力や発想力を求められるときには
部屋からトイレまでピカピカに磨いてから、やるようにしている。
たとえばこのブログを書くときだってそうだ。
他人さまと会っているときもそうだな。
俺は「説得」を得意としているし、
コミュニケーションももちろん大切にしているけど、
そのひとが発している空気、雰囲気、ようするに「気」も、
決しておざなりにはしない。
ぼや~と相対していると気づかないかもしれないが、
真剣に向き合っていると、
意外と相手のまとう「気」から気づかされるものもある。
以前「俺流スポーツ観戦」でも書いたけど、
「気」というのは、ふつうは目に見えないものだからこそ、
そのひとのありのまま、こころの状態が出てしまうのかもしれないな。
「生気る」=「生きる」ということは、
日々の鍛錬の積み重ねに他ならない。
一筋縄ではいかないってことだ!