「家」という呪縛

俺がいろんなひとと話をしていて、たまに驚いちゃうのが、

「いい暮らしがしたい」「いいところに住みたい」

という願望が強いひとが、たくさんいるという事実。

 

六畳一間のアパートに住んでいるひとが、

「二部屋あるアパートに住みたいな」と言うのとは違うぜ?

 

大手企業に勤めて高収入を得ていて、

すでにちゃんとした住居を持っているようなひとが

「もっといい家に住みたい」「今度は○○に住みたい」

とか言っている。

 

その願望の強さたるや、「多少の犯罪を犯してでも、いいところに住みたい、

いい暮らしがしたい」と言っているように聞こえることもあり、

ときどき恐ろしく思うんだ。

 

俺は、いろんな家族の問題を見てきたから、

よけいにそう思うのかも知れない。

 

俺からすると、「家」というのは「呪縛」でしかないんだけどな。

 

たとえば俺のところに相談に来る家族で、

子供が犯罪行為や家庭内暴力を繰り返していて、

家族はもう、すべてを捨てて逃げるしかないんじゃないの?

と思うようなケースは、たくさんある。

 

でも、実際にそこまでする家族は、めったにいない。

「お金がないから」「仕事があるから」……

今の暮らし、「家」は捨てられないと言うんだよな。

 

言いたいことは分かるけど、

「命より大事なのかい?」と聞きたくなってしまう。

 

それでいて、「子供は捨てたい」と言う。

笑い話みたいだけど、これが現実なんだ。

 

実は、「家」があるからこそ、

子供は、親や家族に執着するのにな。

 

実際、俺たちが介入して医療や施設につないでも、

「家」がある以上、子供はなんとかして帰ろうとする。

「家」に帰れば、一生、働かず、

家族を支配して生きていけると分かっているからだ。

 

こういうこと、俺のところに相談に来た家族には

ちゃんと教えてあげているんだけどな。

 

それでも手放せないのが「家」というものらしい。

 

だから俺は、大企業の役職クラスで、

住もうと思えば都会の高級マンション、高級住宅にでも住めるようなひとが、

関東はずれのこじんまりとした家やマンションに暮らし、

そこから毎日通ってるんだ……なんて言っているのを聞くと、

「このひとは、分かっているんだなあ」と感心してしまう。

 

「持ち物は軽く、人間は重く」の見本ではないだろうか。