“こころ”がないのは困るよね!

俺はこう見えてけっこう気が長いほうなのだが、

“こころ”がない奴とは、関係を継続するのは無理だな。

 

ほとんどのひとが初めはいい顔をするし、

こころがあるような言動をとる。

 

だけど、親しく付き合っていくうちに、

こころがない奴っていうのは、

「欲求」(食・眠・性・金・権利など)のところで取引しようとしだすんだよな。

 

たとえば、俺に金を出させるのを前提で、

やたらと「飲みに行こうよ」と誘ってきたり、

俺のことは散々タダでこきつかうくせに、

こっちが何か頼んだときには「報酬は?」と言い出したり。

 

そうなるとこっちも、同じやり方で返すしかなくなる。

俺の場合だと、きちんと契約を結ぶなりお金をもらうなりして、

ビジネスとして付き合うしかなくなってしまうんだな。

 

もちろん、それでうまくいく関係もある。

 

だけど、こころがない奴に限って、

自分の身を削るようなことや、

懐を痛めるようなことは、絶対にしないんだよ。

 

俺が思うに、「欲求」の取引というのは、最後にいきつくところなんだ。

たとえば子供が問題行動ばかり起こして、

もうどうしようもなくなっている親子関係がまさにそうだ。

 

子供は親に対して、「欲求」の取引しかしない。

欲求より遠いところに行けば行くほど、フラストレーションがたまるから、

文句を言ったり、暴力を振るったりする。

 

この「欲求」は、とどまるところを知らない。

家族の例で言えば、子供は親が死んだ後の遺産まで当てにして、

「全部俺のものだ!」と主張し、

場合によっては、ほかの兄弟姉妹に手をかけようとさえする。

 

ここまで来てしまったときには、

親子関係、家族関係の修復は、もはや難しい。

 

俺は仕事として、このような対象者に説得をしたり、

更生に携わったりしているのだが、

やはりそのひとが立ち直れるかどうかは、

この「欲求」の部分を断ち切れるかどうかにかかっている。

 

「欲求」が介在しないところで、他人と人間関係を結べるか。

それってやっぱり、“こころ”があるかどうかなんだよな。

 

俺は人種差別とか男女差別とか、

そういう概念はもちあわせていないつもりだが、

“こころ”がある奴とない奴の差別区別は、きっちりさせてもらうぜ。