About
押川 剛 (Takeshi Oshikawa)
病識のない精神疾患(あるいはその疑いのある)患者の危機的状況時に、「説得」という手段を用いて危機介入を行い、適切な医療機関や施設につなげる日本の第一人者。専門家たちからは、「メンタルヘルス界の鬼才」「コントラバーシャルな男」と呼ばれる。
略歴
1968年 | 福岡県北九州市生まれ |
1992年 | 専修大学商学部中退 トキワ警備を創業 |
1996年 | 説得による「精神障害者移送サービス」を創始 |
2001年 | 「子供部屋に入れない親たち」を上梓 |
2002年 | 社名を(株)トキワ精神保健事務所に変更 代表の座をゆずり、「押川剛」個人としての活動をはじめる。 北九州市内に若者の自立・更正支援施設「本気塾」を設立 |
2007年 | ジャーナリストとして〝ハーレム男〟のその後を追跡。ドキュメンタリーとして放送される。その後も、押川の活動を追ったドキュメンタリーが多数放送される |
2013年 | 精神保健福祉法改正の改正をふまえ、メンタルヘルスにまつわる家族の問題を広く社会に周知させるべく、決意を新たにする |
2015年 | 『「子供を殺してください」という親たち (新潮文庫)』上梓。TBSテレビ「水トク!」において、押川の活動に密着したドキュメンタリー「THE説得」が放送される |
2017年 | 月刊コミック@バンチにて漫画『「子供を殺してください」という親たち』(原作)が始まる |
2023年 | くらげバンチにて漫画「それでも、親を愛する親たち』(原作)が始まる |
最近の講演
2024年1月24日 | 第27回福岡県作業療法学会「説得とは、人間関係をつくること」~患者さんを動かすコミュニケーション~ |
2021年7月21日 | 一般社団法人熊本青年会議所(JC) 例会 「青少年問題について、私たちにできること ~「お金をかけず」「時間をかけず」「負担も少ない」 JCができる!「地域発展のための仕掛け」=「子どもたちの心に“熊本”というシマを築く」方法~」 |
2018年10月~12月 | 新潮講座 「家族からのSOSにどう応えるか」 |
2017年8月25日 | シルバーメディカル(株)合同研修会 「メンタルヘルスは『福岡県モデル』が世界一になりえる」 |
2017年6月14日 | 新潟県看護協会保健師職能集会 「閉ざされた心と向き合う~保健師の『説得力』『支援力』アップのために~【新潟版】 押川流 現実に即した実践策 提案 グレーゾーンに関して “悪役”を担う人材育成・機関の創設」 |
2015年5月12日 | 福岡県芦屋中学校 薬物乱用講演会 「薬物・いじめ・野生のおサルさんに勝つ!」 |
2014年4月16日 | 警察大学校講演 「これからの精神保健分野における警察対応について」 |
メディア紹介履歴については、こちら(トキワ精神保健事務所公式サイト)
押川剛 一球入魂!渾身のインタビュー 是非ご一読ください!
●2024/5/13 FRIDAYデジタル
♯01「ギリギリ真実を書けるのはもう漫画しかない」…「児童養護施設」のリアルを描いた漫画が訴えること
♯02「親がシャブ中で、前科5~10犯なんて人も全国に普通にいます」…「児童養護施設」の闇が向かう先
●2023/7/1~7/3 集英社オンライン
♯04【漫画あり】飲み会で裸にして動画撮影も…地方国公立大学の貧困学生の現状。「県外の子をターゲットにしてグループLINEを作ってチームで落とす。飲み会に誘って酔わせてセックスするんだけど、それを動画に撮っちゃうんです」(2023/7/1)
♯06【漫画あり】「お母さん大好き!」前科8犯で覚せい剤まみれの母親の写真を飾っている子供の悲壮な叫び。なぜ美人キャバ嬢はドラッグに手を出したのか…薬物依存とセックスの切っても切れない関係(2023/7/3)
●2023/3/1~3/3 集英社オンライン
♯01【漫画あり】毎日全裸でバットを振り、飼い猫まで殺した男と向き合う…精神障害者の説得を続ける男・押川剛が危惧する対応困難な患者さんほど見捨てられる現実。「この国では、資格を持つとルールで行動が縛られてしまう」(2023/3/1)
♯02【漫画あり】なぜ37歳の才女は汚物まみれのゴミ山で暮らすようになったのか。「合法的に人を殺せる商売が医者だから、ハイスペックな資格を取れ」歪んだ価値観で育てられた子供たち(2023/3/2)
♯03【漫画あり】全身根性焼き、舌も自分で噛み切った兄のために弟は…。『「子供を殺してください」という親たち』が伝える、切り捨てられる者を生む日本の矛盾(2023/3/3)
●2021/11/9 文春オンライン
♯01「寝ている布団ごと縛られたり、車のトランクに入れられて病院に強制移送される人もいた」 精神障害者を医療機関につなげる“移送”のリアル
♯02「子どもなんか産まなきゃよかった」「あんな男と結婚しなきゃよかった」… 精神疾患を持つ家族や長期ひきこもりの問題は、なぜ家庭に“閉じ込められる”のか
押川物語
1968年 福岡県小倉(現北九州市)に生まれる
母子家庭に生まれ、母親の影響を強く受けて育つ。「『本物』はいつの時代も生き続けて、人の心に残っていく。『偽物』はそのときだけのもので、心の中に残らん」という母親の口癖のおかげで、人間観察が趣味になる。また、たいへんな読書家だった母親の影響で、テレビや漫画はほとんど見ず、早くから本に親しんでいた。
小学校にあがると、身体が小さかったためか、いじめの対象になる。担任教師の「押川君はたくさん本を読んでいてすごいよ」の一言で級友の態度が変わり、救われる。しかし、級友たちとはあまり話が合わず、話し相手はもっぱら担任教師しかいなかった。小学校6年から剣道を習いはじめる。試合では常に先鋒を任される。
持ち前の好奇心旺盛な性格から、中学時代には毎朝、全てのクラスに顔を出して挨拶をして回る。そのおかげで、真面目な生徒とも不良とも、まんべんなく仲良くなった。ある朝、いつものように挨拶回りをしていると、相手の男子生徒が突然キレて殴りかかってきた。虚をつかれてボコボコにされ、血まみれになりながら、世の中には突然何をするか分からない人もいるんだな、ということを学ぶ。
1984年 常磐高校入学
高校は私立の男子校に進学。ワル密度の高い学校だったため、危機管理の重要性を感じ、必然的に危険予測・危機管理能力があがる。放課後は近くの女子高に出向き、可愛い女の子に片っ端から声をかけることを日課とする。しかし学校を通じて苦情が来てしまい、担任にこっぴどく叱られる。
思春期らしく、うるさいことを言う周囲の大人に反発するようになり、剣道もやめてしまい、不良の道をひた走る。喧嘩三昧の日々を過ごす一方で、柳田國男や宮本常一の著す民俗学に興味を持ち、彼らの著書を読破する。学校の裏手に精神科病院があったため、授業をサボってしょっちゅう遊びに行く。鉄格子越しに入院患者と会話を交わし、ジュースなどを差し入れていた。患者からは、「坊主」と呼ばれて可愛がられる。
高校卒業後、「東京で『本物』を見ておいで」という母親の後押しもあり、上京。予備校の寮に入るが、狂ったように勉強する予備校生の姿に疑問を抱く。プレッシャーからか本当に発狂した友人もいた。バランスの悪さを感じ、受験勉強の傍ら、夜の新宿を遊び歩く。岸田秀の著書を読んだことをきっかけに、心理学の本を読みあさったのもこの頃。
1987年 専修大学入学
物理学者の故・唐木幸比古教授に師事する。唐木教授の「人・物・金のどれに近づきすぎてもいけない。その正三角形の真ん中に立つような生き方をしなさい」という教えに感銘を受ける。
時代はバブルの絶頂期だったため、学生も大人たちも、浮かれまくっていた。「こんな時代が長く続くわけがないのに、みんなアホや……」と思い、授業よりもアルバイトに精を出すようになる。
様々なアルバイトを経験したが、どんな仕事も面白かった。スーパーで売り子のアルバイトをやったときには、某有名ハム会社のウィンナーを、連日二時間足らずで売り尽くしてしまう。ハム会社の担当社員の間で噂になり、とうとう人事部長が「大学中退でいいからウチに来てくれ!」とスカウトに来るが、「自分だけの仕事を探したい」という信念があり、丁重にお断りする。
その後、警備業のアルバイトに出会い、運命を感じる。「生命・身体・財産」を守るという警備業の基本理念が、唐木教授の言う「正三角形の真ん中に立つ」に重なることに気づいたのだ。自らの進むべき道を見いだし、大学を中退する。
1992年 トキワ警備を創業
23歳のとき、神奈川県川崎市で、個人事業主としてトキワ警備を創業。社員三名、小さなアパートの一室からの出発であった。
当時の神奈川県警察本部の防犯課長に熱意を認められ、公安委員会から認定証を交付される。個人事業主が認定証を交付されるのは過去に例がないと聞き、防犯課長の期待に応えるべく、業務に邁進する。従業員をはじめ、土建業に携わる人たちは、「食」「眠」「性」の欲求に忠実な生き方をしていた。個性豊かでトラブルも多かったが、それこそが人間本来の姿であると感じる。このときの人間模様が、のちの仕事の礎となる。交通誘導警備だけでなくSP業務も行うようになり、また、万引き防止協会の立ち上げにも携わるなど、精力的に働く。会社は、従業員150人を抱えるまでに成長。
しかしある時、目をかけていた従業員が精神疾患を発症。当時は精神保健に関する情報も少なく、なすすべもないまま状態がひどくなる。結局、従業員は両親に迎えに来てもらい、故郷に帰ることになった。のちに両親から「本人が入院を嫌がって暴れ、大人三人がかりで縛って連れて行った」という話を聞き、「俺が一緒に行けばよかった。そうしたらあいつも、暴れたりしなかっただろうに……」と深く心を痛める。その体験を機に、精神障害者の移送に正面から取り組んでみようと、模索を始める。
1996年 説得による「精神障害者移送サービス」を創始
当時、精神障害者の移送といえば、患者を布団などでくるみ簀巻き状態で連れて行くという強制拘束が、当たり前のように行われていた。そんな風潮の中、“説得をして、医療につなげる”移送を試み、はじめは医療関係者や専門家から「無理だ」「無謀だ」と批判も受けた。
実際、移送の現場は壮絶だった。ゴミだけでなく排泄物までもが堆積する部屋。大声で叫び、凶器を振り回す患者。しかしそんな彼らにも、ふとしたときに垣間見える本当の感情があった。それは病気の苦しみであり、理解しあえない家族への悲しみや怒りであった。
1000人を越える患者を説得して医療につなげ、経験を積むほど、感性は研ぎ澄まされていった。しだいに、入院のみならず、患者や家族の将来を見据えたプランを提供するなど、業務の幅も広がる。
患者さんの部屋に座って、説得をする押川
自宅から逃げ出した患者さんを説得する押川
2001年 「子供部屋に入れない親たち」を上梓
2000年に入ると、一月に「新潟女児監禁事件」が発覚、続いて五月に「佐賀バスジャック事件」が起きる。医療につながらない患者と家族の問題がクローズアップされ、「精神障害者移送サービス」もにわかに注目を浴び、各方面から取材依頼が殺到する。
2001年 「子供部屋に入れない親たち-精神障害者移送の現場から-」を上梓。過去に携わってきた移送の中には、依頼者である家族の見栄や嘘に振り回されることも多々あった。それらの経験もふまえ、家族のあり方に疑問を投げかけた本書は、大きな反響を呼ぶ。行政や医療からも見放された家族の問題に踏み込む姿は、「説得のプロ」として一躍脚光を集め、次々にドキュメンタリー番組が放送される。
2002年に社名を(株)トキワ精神保健事務所に変更。代表の座をゆずり、「押川剛」個人としての生き方を貫こうと決める。
2002年 北九州市内に若者の自立・更生支援施設「本気塾」を設立
数多くの移送に携わるうちに、医療につなげることはできたものの、家族との複雑な関係により退院後の行き先がない若者の、自立の手助けができないかと考えるようになる。そこで、故郷北九州市に、自立・更生支援施設「本気塾」を設立する。
東京と北九州市を往復しながら、精神疾患だけでなく、薬物やギャンブル・ゲーム依存症の若者、詐欺や窃盗・傷害など犯罪を繰り返す若者と日常を共にし、自立へと導く。高校や専門学校通学など教育支援も積極的に行い、自衛隊合格者や調理師免許取得者、看護学校入学、通信制高校卒業などの実績を残した塾生もいる。道をあやまった若者が、本気でやり直そうとする姿、死に物狂いで努力する姿に感動し、なによりのモチベーションとなる。
2007年以降 メディア(テレビ)での活躍の場が広がる
2007年には、日本テレビ『NEWS ZERO』にて、ジャーナリストとして〝ハーレム男〟のその後を追跡した特集が放送される。また、「本気塾」での若者の更生の実態に迫るドキュメンタリーも、多数、放送される。
教育の現場にも理解が深く、2009年には、北九州市内の公立中学への密着取材を企画・コーディネートする。『NEWS ZERO』『NEWS リアルタイム』にて「長期密着プロジェクト・ありのままの公立中学」として、一年にわたり放送される。2013年には、複雑な家庭環境から非行に走り、学校からも見放された14歳の少女との数年に及ぶ関わりが『news every』で放送。
この間にも、問題を抱えた人たちからの相談の電話は、鳴り止むことがなかった。家族だけでなく、医療機関や行政機関、弁護士など専門家、専門機関からの相談も増える。説得の対象者が殺人未遂の犯罪者というケースや、闘う相手が反社会的組織というケースが目立つようになり、まさに「命懸け」の現場だらけになる。
2013年 精神保健福祉法改正をふまえ、新たな決意
2013年6月、精神保健福祉法が改正され、2014年4月から施行されることが決定した。この法改正により、精神保健の分野は大きく変わった。精神疾患にまつわる家族の問題は、ますます専門機関(医療や行政など)の隙間、法の隙間……いわゆる「グレーゾーン」に陥るようになった。困っている人が見放されることがないよう、今後も徹底した「現場主義」のもと、超難関に挑んでいこうと決意を新たにする。
2015年 『「子供を殺してください」という親たち』を上梓、TBS水トク!「THE 説得」放送
精神保健福祉法の改正により、国(厚労省)は、「入院医療中心から地域生活中心へ」と舵を切った。しかし、地域での受け皿は圧倒的に足りておらず、行き場をなくした対象者、そして家族からの、悲痛なまでの相談はあとをたたない。
この問題の実態をひろく社会に訴え、精神保健分野のシステムを変えるべく、2015年7月、「子供を殺してください」という親たち (新潮文庫)を上梓。7月15日には、TBSテレビ「水トク!」にて、押川の活動に密着したドキュメンタリー「THE 説得」が放送される。精神科医療にかかる必要のある人が、しかるべきかたちで医療にかかれるよう、公的機関主体の有効なシステムを作り上げることを目標に奔走している。
2017年 『「子供を殺してください」という親たち』 待望の漫画化!!
2016年には、殺人事件摘発件数のうち、被疑者と被害者の関係が親族間である割合は、全体の55%を超えた。その背景に、重度の精神疾患や、薬物依存・アルコール依存、長期ひきこもりなど、メンタルヘルスの問題が隠れていることも少なくない。
家族間以外の事件においても、ストーカーや小児性愛など、「被害者を生まないために加害者にも精神科医療の治療が必要」と考えられる事件が増加している。一方で、日本の精神保健福祉分野は、未だ開かれているとは言えない。
閉ざされた世界に風穴を開け、これらの問題を広く一般の方々に周知し、建設的な議論が巻き起こることを願い、2017年8月より、月刊コミックバンチ(新潮社)にて『「子供を殺してください」という親たち 1 (BUNCH COMICS)』の漫画連載を開始する。漫画家に鈴木マサカズ氏を迎え、原作者としてプロットの段階からこだわり、圧倒的な“ファクト”を追求している。
About Takeshi Oshikawa
Takeshi Oshikawa (born in Kitakyushu-shi Fukuoka prefecture in Japan, 1968) is a Japanese leading professional persuader, who intervene in dysfunctional families. He is a private citizen and his work is to transfer mentally ill individuals to appropriate medical institutions by clients’ request, it is so-called ‘mentally ill individuals transferring services’. People call him a ‘professional persuader’ because he directly talks into seriously mentally ill individuals (usually client’s children or siblings) who have anosognosia, meaning that they have no awareness of their own illness or need to take medication because of their brain disorder, and are possibly in the state of a danger to self or others. Oshikawa persuades and directs them to appropriate medical institutions or social services based on their approval. There is no forcible restraint which usually occurs in other private companies that conduct mentally ill individuals transferring services. The greatest characteristic of Oshikawa is that he can communicate with seriously mentally ill individuals face to face, and make them understand the need of medical care. That makes him the one & only professional persuader in Japan.
This means that ‘mentally ill individuals transferring service’ equals ‘crisis intervention’: responding to crises associated with mentally ill individuals and their family members who are in a critical situation. There are no professionals specializing in crisis intervention in the field of mental health in Japan, therefore there are no practical know-how at all. On the other hand, Oshikawa has acquired all his proprietary know-how by self-education based on his original experiences. He has persuaded and lead more than 1,000 mentally ill individuals to appropriate medical care, which definitely makes Oshikawa the one & only existence.
However, Oshikawa has kept persisting that “The day, I am no longer necessary, must come and that is my goal!”, which means his work is supposed to be covered with public services because it is a legal requirement for a public healthcare center to transfer mentally individuals who have anosognosia to appropriate medical care as provided by Act on Mental Health and Welfare for the Mentally Disabled in Japan. Although, it is in a dysfunctional setting in practice.
As public transferring service is not functioning at all, there are many seriously mentally ill individuals who have no access to appropriate medical care all over Japan. The medical condition gets worse with time, and it eventually makes whole family dysfunctional. It turns out that the number of murders or violent incidents between family members, such as parents kill mentally ill children and vice versa, is increasing and it is recognized as social problem.
‘Hikikomori’ is also one of Japan’s most serious social problems. Hikikomori has withdrawn from society and live in their rooms for a long period of time, sometimes decades, so they are getting older. As they get older, concern of hikikomori becomes bigger and bigger. In Japan, it has long been thought that “It is important to respect hikikomori’s intention, meaning that if they wish to withdraw from the society and stay in their rooms, we should leave them alone and not intervene forcibly.” In a result of leaving ‘hikikomori’ for decades, some psychiatrists point out “There are quite a few hikikomori who seem to have mental illness”. Even the government of Japan do not have accurate data.
Oshikawa has cut to the heart of these problems in the field of mental health in Japan through his work of ‘mental illness individuals transferring services’. Oshikawa’s work has been featured in all sorts of media in Japan; newspaper, TV, radio, magazine, internet etc., and his work is also closely watched by foreign media: Channel News Asia in Singapore, Chosun Ilbo in Korea, etc.. Japanese mental health professionals call him “Unusual ability in the field of mental health in Japan”, “A controversial man”. Nowadays, he is not only a sought-after speaker in the field of mental health, but he also conducts many lectures to groups in legal community, healthcare center and law enforcement organization.
Not only is Oshikawa a professional persuader, he has a variety of faces; a journalist, non-fiction writer and the original writer of comics.
Oshikawa has authored 7 books (all in Japanese) including recent publication: “Parents who pray their children’s death(子供の死を祈る親たち (新潮文庫))” (March 2017), “Parents who supplicate ‘Please kill my children(「子供を殺してください」という親たち (新潮文庫))” (July 2015, now in its 11th printing). In these books, Oshikawa approaches the dark side of ‘Hikikomori’ and gives strong warning against mental health situation in Japan that will be in imminent danger near future.
His book of “Parents who supplicate ‘Please kill my children’” has been made into comics and appear serially in ShinchoSha’s monthly comic magazine, COMIC@BUNCH.
Photo at scene of Oshikawa’s persuasion 1: Case of a woman in her 50’s with schizophrenia
Her family took her to a psychiatric hospital once since she had delusions and she has been diagnosed with schizophrenia and hospitalized. However, she escaped from a hospital without doctor’s permission some time later and returned to her home because she had no awareness of her mental illness and need to take medication at all. After she returned, she stopped to take medication and became extremely emotionally disturbed: behaving violently to her family, had a tendency to wander around and kept telling to her husband “I kill you and after that, I kill myself”. Her family tried everything they could to have her receive psychiatric care, but nothing worked out, and finally, they came to Oshikawa for help at the end of their tether, and Oshikawa successfully persuaded and referred her to appropriate psychiatric and medical care.
Photo at scene of Oshikawa’s persuasion 2: Case of a man in his 40’s. He has been diagnosed with bipolar disorder after hospitalization at a psychiatric hospital by Oshikawa’s successful persuasion.
He had withdrawn from society and retreated at home for 20 years. During all that time, he had never gone outside the house and mostly stayed naked in the house even in winter. He had been in absolute control of his parents by violence, treated them like his slaves and occupied the whole house. His parents had been forcibly to take care of him during all that time of 20 years.