苦労は買ってでもしろ!!

「若いときの苦労は買ってでもせよ」
とは昔から言うけど、この言葉の意味を、
俺もこの年になってようやく、実感として受け止めている。

 

「苦労を買う」というのは、例えのようだけど、
そうじゃないと、俺は考えている。
本当に金を払って、苦労を買う。
それこそが、ひとを成長させるのではないだろうか。

 

たとえば俺の本業は、仕事なので当たり前だが、
きちんと対価をいただいている。
けっこうな金額をいただくケースもあるのだが、
それでも俺は、依頼主である家族に厳しいことも言うし、
現実を突きつけて、向き合ってもらうこともする。

 

大金を払ったからと言って、家族が一気にトラブルを手放し、
「はい、良かったね」とは、ならないし、させない。

 

そんなふうだから、「高い金払ってんのに、
なんで押川にアレコレ言わなけりゃならねーんだ!」
と言って、途中で逃げ出す家族もいる。

 

俺は、依頼主である家族から、
その手の罵詈雑言も山ほど浴びせられてきたけど、
家族に楽をさせるようなスタイルは、一切とっていない。

 

家族に恨まれ文句を言われても、現実と向き合ってもらう。
金を受け取る以上はそれもまた、
俺が、家族に対してできる事だと思っている。

 

実を言えば、俺も未だに、苦労を金で買っている。
俺のところには、いろんなひとがやってくるから、
たとえば業務として成立しないような内容の頼みであっても、
“人間”として対応しなければならないこともある。

 

きつい、危ない内容のトラブルを持ち込まれ、
俺のほうが金を持ち出して動かなきゃならなくなる。
そういう案件が、年に一回くらいは、降りかかってくる。

 

でも俺は、そういうトラブルに対しても、
終わってみれば、「ありがたい」と思う。
身銭を切ってやったときほど、学ぶことも多いし、
新しい人脈が開けたりするからね。

 

最近は、「ラクして●●できる」ということにばかり、
みんな喜んで金を払うよね。
「無料で●●できる」みたいな話も、わんさかある。

 

「若いときの苦労は買ってでもせよ」なんて、
もう死語だと思われているんじゃないのかな。
俺からすると、だからこそ、おかしな子供が増えて、
おかしな家族も増えている。

 

俺はもう若くないけど、「苦労は買ってでもする」
その精神は、忘れていないつもりだ。

 

余談だけど、俺の行きつけの飲み屋は、
厳しいことを言ってくれるママがいるところばっかりだ(笑)。
俺は、ホステスにちやほやされたり褒められたり、
そんなくだらないことに、金を払いたくはないね。
どうせ金を遣うなら、他人様が言ってくれないようなことを、
ビシバシ言ってくれるひとに、遣いたい。

 

そういう真剣勝負こそが、やがて絶大な信頼関係につながると、
俺は思っているのだけど、どうだろう。