予測して博打

今や、スマホが一個あれば、何でも調べられて答えが分かる時代だ。

 

ほんの20年前、俺が仕事を始めたころは、

その場所に出向いて、ひとに会わなければ入手できなかった情報が、

今は検索するだけで手に入るのだ。

 

「専門家」と呼ばれる職業のほとんどは、近い将来、

不要なものとして淘汰されていくのではないだろうか。

 

だからこそ現場に出て、ひとが見られないものを見て

耳で聞いて、身体全体で感じる。

それが大事だと俺は思っている。

 

だからと言って、現場に出て何百人というひとに会って、

見聞きしたことを右から左で他人様に話す…

それだけでは、やっぱり仕事にはならない、と思うんだな。

 

見聞きしたもの、得た情報から、

1年後、5年後、10年後、時代がどう変わっていくか? を予測し、

予防策、対応策、アイデアを出す。

この“先読み”こそが、プロの仕事ではないだろうか。

 

たとえば俺の本業である精神保健の分野でも、

本人(患者)の情報や、家族の状況を見聞きして、

「これはこうですね、ああですね」と分析することは、

多少なりともこの分野の勉強をした専門家なら、

誰でもできることなんだよ。

 

俺は、現場から始めた人間の意地で、

そういう“専門家”には絶対に負けたくなかった。

だからこそ “先読み”を、自分に課すようになった。

 

この家族は、5年後10年後、どんな危機を迎えるだろうか?

その危機を回避するために、今、俺にできる最大限はなんだろうか?

 

常にそれを念頭に置きながら、家族の問題に向き合ってきた。

「5年後10年後の危機を回避するために、

今、こうするしかない!」

という予測と信念のもと、仕事をしてきた。

 

もちろん予測が外れることだって、なかったわけじゃない。

 

でも俺は、失敗を恐れて中途半端な関わりをするのは嫌だった。

オリジナルの結論を出さず、ただ分析や感想を言って終わり…

それで金をもらうなんて、ありえない!

 

予測に基づいて、“今”を仕事にする。

これって言ってみれば、博打みたいなもんだ。

やりたい放題やっているように見えるかもしれないが、

けっこうプレッシャーもあるんだぜ。

 

でも、俺が知っている限りでも、

現役時代に相当な実績を上げたひとや、

一時代を築いたひと、ヒットを飛ばしてきたひと…

そういう先輩はみんな、博打をうってやってきたように思う。

 

仕事で博打うちすぎて、実力はあるのに飛ばされまくったひとや、

心のバランスをとるために飲み過ぎて、アル中みたいになっちゃったひとも、いる。

 

でも彼らは、たとえ前線を退いても、閑地に飛ばされても、

培ってきたカンだけは衰えていない。

だから彼らのところには、未だにいろんなひとが

「お知恵を貸してください」と、話を聞きに来ている。

 

若いときのような、がむしゃらで向こう見ずな博打ではなく、

年をくってきた人間なりの、深くて洗練された博打ってのがある。

 

こんな時代だからこそ、俺はそれを貫くつもりだ。