いい環境がいい人間を作るのか?

子供を持つ親ならば、いい環境で子供を育てたいと、当たり前のように思うのかもしれない。

いい住まいに住み、いい洋服を着せ、いい物を食べさせ、いい教育を与え……

しかしそれらが、本当にいい人間をつくるだろうか?

 

親が与えた環境により、子供が「自分はすごい人間だ」と勘違いする。

そういうことは、往々にして起こりうることである。

 

環境に見合うだけの努力ができたり、早いうちに挫折を知ったり、

子供が真実を学ぶ機会があれば別だが、

そのままたいした能力もつけずに大人になったときには、悲惨である。

 

俺は、ある警察の関係者から、こんな話を聞いたことがある。

能力があるのに「自分はできない」と勘違いしているひとに、

道を拓くことを教えるのは、難しくない。

それなりの対応、コミュニケーション力などを鍛えてあげれば、

自然と能力が生きてくるからである。

 

一方で、「自分はできる」と勘違いしている人間に、

道を拓くことを教えるのは、ひどく難しい。

「あなたはこの程度なんだから、分相応な生き方をしなさい」

と教えたところで、もはや聞き入れることなどないからだ。

 

これは、俺が「本気塾」などで接してきた若い奴をみても、

まさにぴたっと当てはまる理屈だ。

万能感を持ったまま大人になった奴は、人を傷つけることも厭わない。

自分が一番えらいと思っているのだから、当たり前だ。

 

俺が思うに、子供にいい暮らしを与えることは、

区別差別することを教えているのと、同じではないだろうか。

 

言葉にはしなくても生活環境で、

「あなたはひととは違うのだ」、「ひとより優れているのだ」と教えてしまっている。

環境によるマインドコントロールとも言える。

 

もちろん、劣悪な環境で子育てをしろと言いたいわけではない。

しかし何事も、「ほどほど」という概念が大事なのかもしれない。