クリエイター魂
テリー植田氏に誘われて、「フリーランスの会」に参加した。
前回、参加したときのことは、このブログにも書いたが、
クリエイターたちが集まる、非常にいい雰囲気の会なのだ。
ほとんどがフリーランスという立場で仕事をしていながら、
ガツガツしていないし、ギスギスしていないし、ドロドロもしていない。
凄い実績をもち、大活躍しているひともいれば、
アルバイトで生計を立てながら、クリエイターの仕事をしているひともいる。
しかしみんな、必要以上に自慢したり、見栄を張ったり、
逆にコンプレックスをむき出しにしたりすることもなく、
露骨に営業をかけているようなせこい人間もいない。
イラストや文字、曲や詩、あるいは人間(肉体)そのものを使って、
自分の中にあるものを伝える、ということを、
人生の中心に置いて、生きているひとたちである。
人間である以上、こころの中には、ガツガツ、ギスギス、ドロドロ……
という部分も持っているのだろうけど、
おそらくそういうのも含めて、作品として昇華している。
昇華するために努力している人間の潔さが、このひとたちにはある。
彼らの中に身をおくと、とても新鮮で、ナチュラルな気持ちになれる。
なんというか、中学2年のときのクラスみたいな……そういう純粋な空気があるのだ。
悲しいかな、俺の本業である精神保健の分野とは、真逆だ。
何度も伝えているように、昨今の精神科医療の現場は、対価や効率ばかりを求め、
規格に収まらない「面倒な患者」、「困難な問題」は排除することを徹底している。
冷酷なビジネスとしての精神保健に成り下がっているのだ。
表向きは、こころの病気のひとに寄り添う聖域のように見せかけ、
働くひとたちも、国家資格なるものを持ち、インテリ&善良さを前面に出している。
しかし内情は、それこそガツガツ、ギスギス、ドロドロが山盛りなんである。
こころの具合が悪いひとの顔つきを、どう変えるか。
それは、精神保健に従事するひとの、使命の一つであるはずだ。
ガツガツ、ギスギス、ドロドロの現場では、限界がある。
たとえば、小説、絵、音楽、アートなど……
クリエイターの作り出したものは、ひとを笑わせ、泣かせ、感動させ、
ときには病んだこころを、一瞬にして癒やしてしまうことさえある。
本物のクリエイターは、こころを扱うプロなのかもしれない。
それは、彼らが全身全霊で、魂を込めて作品を作っているからこそ、
できることでもある。
精神保健の仕事に従事する連中は、
彼らを見習うべきところがあるのではないだろうか。
アートを生み出す才能はなくとも、
己の“こころ”そのものを、言葉と身体を使って体現することは、できる。
それが、相手(患者)のこころに響いたときには、
何かが変わるかもしれないのだ。
少なくとも俺は、その精神を忘れずにいこうと、改めて思った。