倫理や道徳はどこへ行った
脱法ハーブ(俺に言わせれば“殺人ハーブ”だが)関連のニュースを見ていても思うことだが、
物事の表面や言葉のみに反応し、本質を深く考えないひとが増えたように思う。
たとえば脱法ハーブにしても脱法ドラッグにしても、
それが身体に害を及ぼす可能性があり、危険なものであることは、
少し調べれば分かることなのである。
それでも“脱法”という言葉一つで、逮捕されない=犯罪ではない=危なくない
というふうに、安易に考えてしまう。
とくに俺のところに相談に来るような家族は、
親からしてこのような価値観のもと、生きている。
たとえば子供が親の金をくすねたり、違法薬物をやったり、
あるいは第三者に迷惑行為を行ったりしているのに、
警察には捕まっていない=犯罪ではないという考えで、
問題に真剣に向き合っていない。
遵法精神だけでなく、倫理・道徳観のない家庭で育てば、
犯罪行為や不正行為へのハードルは低くなる。
かといって、ある程度成長した人間に、遵法精神、倫理・道徳観を教えるのは、容易ではない。
それこそ、命に関わるような痛い目に遭ったり、実際に懲役刑を受けたりといった、
よほどの経験でもない限り、なかなか抑止にはつながらない。
しかもその痛い経験が、命を落としたり、前科前歴がついたりという、
取り返しのつかないものである可能性も高いのだ。
俺の関わってきた薬物乱用者たちは、
「楽しい思いがしたかった」、「快楽を得たかった」、「軽い気持ちだった」、
「彼氏(友達)が勧めるものだから、大丈夫だと思った」と、口をそろえて言う。
その短絡さに、健康な身体や、人生そのものまで奪われているのである。
少し話はそれるが、物事の表面、言葉でしか捉えないという点では、
移送の金額に対する家族の反応も、一つの象徴をあらわしていると感じる。
今は精神障害者移送サービスもさまざまな形態のものがあり、金額もピンからキリである。
俺のところは、値段で言えば、一番高い部類だと思う。
それは、事前のヒアリングにしても、調査にしても、当日の説得にしても、
サービスの内容が違うのだから、当たり前である。
しかしそういった内容の確認もなく、金額だけを聞いて、
「それは、ないわ」「もっと安いとこないの?」と言う家族もいる。
俺からすると、その対応だけで、家族と患者の関係がはっきりと分かってしまう。
俺がやっているのは、人間を対象とした仕事であり、
本人の「命」がかかっていると思ってやっている。
危機管理は厳重に行っているが、俺やスタッフだって命がけの覚悟なのだ。
そんな、自分たち家族ができないこと、やりたくないことを依頼するのに、
なんというか、100円ショップで買い物でもするような感覚なのである。
「誰だって、お金があれば、良いサービスを受けたいに決まっている。
お金がないのだから、しょうがないじゃないか」という反論もあるだろう。
しかし、俺が言いたいのは、最も大切な決断をする際に、
経済力云々でなく、「こころ」で判断してほしい、ということだ。
そうであれば、少ない金額しか払えないにしても、
「安けりゃ何でもいい」とは思わないはずだ。
その意識によって、最終的な結果は違ってくるのではないだろうか。
法律を軽んじ、倫理や道徳観を軽んじ、
挙げ句の果てには、命まで軽んじる。
そんな方向に進んでいるような気がしてならない。