「金」より「ひと」だろ、やっぱり

C氏(仮名)には、知識もある。学歴もある。

勤め先は、ひとが「凄いね」と言ってくれるような大企業だ。

年収は軽く一千万は超えており、東京都下に戸建ての家を持つ。

かわいい子供が二人いて、勉強もスポーツもできるらしい。

 

字面だけ見れば、素晴らしい人生を送っているように思うかもしれない。

しかし、このC氏には、人間として「それはどーよ」と思うところがある。

他人をたぶらかし、金を出させてばかりいるのだ。

 

奢らせる、金を借りて返さない、領収証をちょろまかし会社から金をひっぱる……

といったことを、表面的にはいいひとを装いながら、やっている。

 

たしかに世のなかには、いつもひとから酒を奢ってもらったり、

金を出してもらって生きているひともいる。

酒の相手として超面白いとか、金では買えない何かを返してくれるとか、

そんな人間的魅力があるなら、出すほうも文句は言うまい。

 

しかしこのC氏のやり方は、ちっとも面白くないのだ。

嘘を吐いたり、自分自身を哀れに見せたり、あるいは逆切れしたり、

時には仕事の取引をちらつかせるなどして、相手から金をひっぱる。

 

そして、相手に自分の人間性がばれそうになると、

謝罪やお礼どころか、相手の悪口を周囲に吹聴しながら、

少しずつフェイドアウトし、次の獲物を探す。

 

金をひっぱられたほうは、真相に気づいて悔しがり、恨みに思ったりするのだが、

ひとを騙して奪った金など、しょせんは「借金」と同じだと、俺は思う。

 

なにせC氏は、表面的にはインテリぶって見せているが、

その根底にあるのはすべて「金」という価値観である。

こういう人間のところに集うのは、やはり「金がすべて」という価値観をもった人間ばかりだ。

 

現にC氏には、「金、金」言っている嫁がいる。

その価値観は、いやでも子供にも引き継がれるだろう。

ここ最近は、会社の業績も下がる一方で、給料カットの恐怖に怯えてもいる。

「金、金」言う嫁の手前、C氏は何とかして金を作らざるをえず、

たちの悪い奴を相手に、たちの悪い仕事までするようになっている。

 

結局は、「金」に自分の首を絞められて、苦しむことになるんだな。

ひと様から奪った金と、自分の返したものの間に相当な開きがあるのだから、当然だ。

 

もう一人、C氏と同じ職種に就く、D氏という人物がいる。

こちらは、知識もない。学歴もない。仕事は個人事業主。

収入は、自身に気合を入れないと入って来ない。

住まいは賃貸で、家族もない。

 

しかしD氏は、経験として苦労を知っているだけに、

他人をたぶらかすような真似はしない。

人間としては、D氏のほうがはるかに潔く、まっとうだ。

 

ただし、D氏の欠点は、「ひと」にこだわりすぎたことにある。

ひとを信じすぎたり、頼りにしすぎたり、応援しすぎたりした結果

「ひと」に苦しめられて生きているという。

 

何事もほどほどが一番よい、ということなのかもしれないが、

それでも、「金」にこだわるよりは、「ひと」にこだわるほうが、

よっぽどいいと俺は思うな。

 

「金」のミラクルは、宝くじかギャンブルくらいしかないが、

「ひと」のミラクルは、けっこういろんなところにあると思うからだ。