おっさんのコミュニケーション
携帯電話やSNSの影響もあるのだろうけど、
人間も、世代によってそれぞれ、
コミュニケーションに対する感性が変わってきているように思う。
こんなことを言うと、“おっさん”と言われてしまいそうだが、
俺みたいな40代にとって現代は、変革が早い時代だ。
とくに今の若いひとたちは、良い意味でも悪い意味でも、
人付き合いを軽々とやってのける印象がある。
(もちろん、そうじゃないひともいるだろうが)
そういう若いひとが増えたせいなのか、最近は、
厳しいことや本当のことを言うだけで、忌み嫌われる。
ちょっと口うるさいこと、説教じみたことを言っただけで、
若い部下から「早く死ねばいいのにね~」と陰口を叩かれているおっさん(おばさん)たちを、
俺も飲み屋なんかで、たくさん見てきた。
だからと言って、ノリを軽くして若者に合わせて、
フラットなコミュニケーションばかりとろうとするのは、
俺はやっぱり、違うと思う。
もちろん、世代を問わず柔軟なコミュニケーションがとれるひとも、世のなかにはいるだろう。
しかし、そうではないひとがほとんどなのだから、
自分のやり方をひとつの形として、貫いていくしかないのではないか。
話し下手だったり、不器用だったりしても、いいと思う。
その代わり、真剣に一つのことを積み重ねてきた、
あるいは、ちょっとやそっとじゃ負けない何かを一つ持っている……
そういうひとは、ペラペラしゃべったりしなくても、
短い言葉、雰囲気やオーラだけで、大事なことを伝えられる。
でもそこには、絶対的な誠実さが必要なんだな。
俺の向き合っている、精神疾患の患者さんの話をしよう。
一般のひとは、精神疾患に対して「こわい」と思うことが多いだろう。
その「こわい」の背景には、「よく分からない」、
「本人も、自分の状況がよくわかっていないのではないか」という思いがあるはずだ。
しかし俺から言わせれば、
ほんちゃんの病気で長年苦しんでいる患者さんほど、純粋なひとはいない。
自分の身に起きていることに苦しみ、思うようにいかないことを嘆き、
家族のことだって、いつも心にある。
それが「心の病気」と結びつかないから、前に進んでいないだけなのだ。
だからこういう患者さんは、医療につないだあとで状態が落ち着くと、
俺もハッとするような、家族も涙するような、
それこそ世界がガラリと変わるようなひと言を、発したりする。
俺はそれを、重く受け止める。
逆に、病気に片足つっこんだ状態で、
それを理由に家族から金を奪い、家族を支配しているような、
俺から言わせたら偽物の患者たちの言うことは、言葉も軽いし、
どこまでいっても自分勝手なことしか考えていないのが、よく分かる。
つまり、どんな生き方をしようと、
自分や、身近にいるひとの存在に真摯に誠実に向き合っていれば、
その人となりに応じたコミュニケーションの形ができあがり、
歳相応の貫禄や威厳だって、自ずとついてくるものなのだ。
それを否定して、コミュニケーションまで小手先の若作りをすることに、
いったい何の意味があるだろう。
むしろ、若いときの軽々しいノリや振る舞いなど、
自ら意識して切り捨てていかなければならないと、俺は思っている。
人間は、生きている限り、嫌でも日に日に歳をとるのである。
俺もこの年になって実感しているが、若い頃に比べれば、
身体だって動かなくなり、集中力も記憶力もなくなった。
いつまでも、若いときのようなフラットさで生きていけるわけではないのだ。
年くった人間ほど、自分なりのコミュニケーションの本質がどこにあるのか、
しっかり見極めて、受け止めるべきではないだろうか。