病識

今の精神科医療は、自分から進んで治療を受けにきて、
なおかつ大人しい患者ばかりを好んで診たがる。

 

しかし俺はこれまで千人以上の患者に会ってきて、
自分から進んで治療を受けにくるような、
いわゆる病識(自分が病気であるという認識)があるひとは、
ほとんどいなかったぞ。
だからこそ家族も病院に連れて行けなくて、
俺みたいな人間に頼んでくるのだ。

 

中には、家族に頼まれて俺が会ったところ、
自分から精神疾患をアピールしてくるような人間もいたが、
そういうひとは、実は裏で薬物に依存していたり、
窃盗や強姦など犯罪を繰り返していたり、ただ働きたくないだけだったり、
ようするに、病気を理由によからぬことをしている人間ばかりだった。

 

そして、そういう人間ほど、精神疾患に関する書物を読みあさり、
薬の知識を入手しては、医師の診断に難癖をつけていた。

 

俺が知る限り、ホンモノの患者というのは、たしかに病識がなく、
「あなたは心の病気ですよ」と指摘すれば「そんなことはない」と否定もするが、
かといって、自分に付けられた病名に不快感を示したりしない。

 

だからこそ俺は、『そもそも最初から病識がある者は精神病患者か?』、
『病名に不快感を覚える患者は本当に精神障害者か?』
という疑念を、振り払うことができない。

 

この間、俺の知っている精神科医が、
「簡単に病名をつけ、向精神薬を処方する医師が増えていて、本当に困る」と嘆いていた。
精神疾患といえるレベルでもないのに、
病名がついて、向精神薬を飲んじゃったりして、
よけいにややこしいことになっているケースが、けっこうあると言うのだ。

 

思うに、人間として生きていれば、
自分は何者なのかとその存在意義を思い悩んだり、
生きづらさを感じて苦しみ、常軌を逸した行動に出てしまったり、
そういうことは少なからず、ある。
とくに若いうちは、それこそが思春期であり、青春そのものとも言える。

 

たとえば、それを“哲学”というアプローチで捉えたときには、
人生経験を積みながら、己の心と向き合い、
本質を探していけばいいのだ、と納得がいく。
答えを見つけるためには、脳みそをたっぷり使わなければならないし、
そう簡単に答えが出るわけでもない、ということも理解できる。

 

だけど近頃は、そうやってじっくり己と向き合うことよりも、
ちょっと調子が悪ければ、病院に行って、
病名をつけてもらって、薬を飲んで、安心する……
人々は、そういう傾向に流れているような気がする。

 

これも、何でも簡単にラクをして答えを求める現代の、
象徴の一つなのかもしれないな。