佐世保の事件について 1
佐世保市の同級生殺害事件が大きなニュースになっているが、
「うちの子供も、いつかこういう事件を起こすかもしれない」
と戦々恐々としている親は、けっこうな数、いるんではないだろうか。
加害者の女子生徒に関しては、過去に、給食に異物を混入した、小動物の解体をしていた、
父親を金属バッドで殴った……といった報道もなされている。
給食への異物混入以降、小中高と情報の共有がなされ、専門家による介入や見守りも行われていた。
にもかかわらず、各出来事において、司法介入を避けたのはなぜか。
第三者の命に関わる、重大事件につながるような行為をした場合には、
「やってはいけないこと」を本人に分からせるためにも、
未成年であろうとも法的手続きに則り、対応をとるべきであった。
そのうえで、本人に治療の必要があるならば、医療につなげるべきだった。
周囲の大人が、本人に対して「悪いことは悪い」、「犯罪はいけない」
という姿勢を示さないままでは、考えの偏りを正すチャンスすら、得られない。
おそらく周囲の大人たちは、関わりの中で「何かやるかもしれない」と感じていたはずだ。
それでも踏み込めなかったのは、本人が未成年で、勉強やスポーツもできたうえに、
親の職業は法の専門職であり、非の打ち所がないことから、
逆に行政が介入しづらい状況があったのではないだろうか。
もっと言ってしまえば、親の意向が最大限に優先されたとしか思えないのである。
本人に前歴をつけたくない、自分たちの地位や肩書きを汚されたくない……
そういった思いがあったのかもしれない。
しかしそれは、親の意向と言うより、エゴである。
俺のところに来る相談者の中には、
「このままでは子供に殺される」、「子供がいつか、第三者を殺めてしまうのではないか」
と訴える家族も、少なからずいる。
これらの家族から話を聞いていくと、本人の幼少期に、
度重なる嘘、窃盗(万引き)、動物虐待、友達に怪我を負わせるほどのトラブル、家族への暴力、放火……
といったエピソードが、例外なく出てくるものだ。
しかし親は、我が子が対象でなおかつ未成年であることから、厳しい対応をすることを躊躇してしまう。
その結果、善悪の区別のつかない大人に成長してしまってからでは、
もはや育て直しは不可能である。
俺が介入するとき、できることはただ一つで、
それが犯罪行為なら警察を呼ぶし、精神科医療の範疇に該当するなら病院につなげる。
ちなみに、薬物依存などが代表的だが、仮に司法で裁かれることになっても、
出所後には、精神科医療の力を借りるしかないケースも、たくさんある。
ひとの痛みを感じることができず、考え方に偏りがあり、遵法精神もない。
こころの何かが欠如しているとしか思えない対象者に対して、
治療や矯正といった対処ができるのは、精神科医療でしかないからだ。
報道によれば、父親は再婚後、女子生徒をマンションで一人暮らしさせていた。
「留学前の訓練」などと口実をつけていたようだが、おそらく、
自分の生活(再婚)を優先させた結果、女子生徒との関係を良好に結べず、
手にあまる言動が続いたうえでの、選択だったのではないかと思う。
本人の状態を鑑みれば、育児放棄(ネグレクト)とも言える行為だし、その責任は重い。
「親としておかしい」と言うひとが大多数だろうし、
未成年であるからこそ、親が身を挺してでも周囲の協力を得るべきであったと、俺も思う。
しかし実は、精神保健福祉の分野で、国が現在、推進していることは、
まさに、この父親の対応そのもの、なのである。
今までにも何度も説明してきたことだが
今年の4月から施行された改正精神保健福祉法により、
症状の軽重にかかわらず、患者の早期退院(三ヶ月)が徹底化され、
家族の負担を減らすという名目で、保護者の義務規定も削除された。
つまり厚労省は、患者をどんどん社会に出し、地域で受け入れていこう、
という方向にかじを切ったのである。
現に、この手の問題を抱える家族が保健所などに相談にいっても、
「何かあったら110番通報をしてください」
「本人が大人しくなるよう、要望を聞いて生活してあげてください」
「本人を一人暮らしさせるか、家族が逃げるしかありません」
などという答えしかもらえない。
仮に医療につないだとしても、投薬治療で効果がなければ、
「治療効果がない」として、早期退院を促される。
認知行動療法や弁証法的行動療法など、こころに訴えかけるような治療は、
時間も手間もかかるうえに儲けにもならないから、敬遠される。
日本における司法精神医学の遅れは、専門家たちも指摘するところである。
もちろん「精神疾患の患者はすべて、危険な事件や事故を起こす可能性があるから、
医療機関に長期間、隔離せよ!」などと言いたいわけではない。
大多数の患者は、きちんと服薬や通院をし、
社会からのサポートを受けることで、問題なく生活を送れる。
だけど、もっと根深い問題を抱えている対象者も、一定数いるのだ。
問題の原因は、精神疾患だけでなく、育ってきた環境、家族との関係、
もともと本人の持っている性質や遺伝など、いろいろあるだろう。
いずれにしても、一般のひとには理解できない言動を繰り返し、
危険な事件や事故を起こしかねない(もしくはすでに起こしている)ひとたちである。
現在の厚労省の見解をぶっちゃけてしまうと、
そういう対象者の存在は認識しながら、触れることも議論することもないため、結果的に、
「事件を起こすまで放置し、起きたら司法で裁く」、
「もはや家族にも責任はなく、地域社会に放置するしかない」
と言っているようなものなのだ。
そういう意味では、加害者の女子生徒の親がとった対応は、
国の見解に沿ったものだ、という見方もできてしまう。
これでいいのか!? と俺は言いたい。
ひとの命を奪ったことは、決して許されることではない。
しかし、被害者も加害者も、まだたったの15歳(16歳)だ。
こうなる前にできることがあったはずなのに、
何もやらない、できないで通してきたのは、大人たちの、この国の、怠慢である。
少なくとも、「子供を犯罪者にしてはならない」と、
危機感を抱いて、かけずり回っている家族もいるのだ。
そういう家族の危機感、危険予測に応えられるだけの仕組みを、
一刻も早く、打ち立てねばなるまい!!
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