佐世保の事件について 2
続々と報道が続いているが、俺が言いたい究極の答えは、やっぱり一つ。
「親が悪い」
こんなことを言うと、親の育て方云々で、このような事件を抑止できるとは限らない!
と反論するひともいるだろう。
しかし、親が子供への対応に手を焼き、どうにもならなくなっていたからこそ、
周囲の専門家たちに頭を下げ、誠心誠意、協力を仰ぐべきだった。
今回はとくに、異物混入の時点から、サインが出まくっていた。
あげく、カウンセリングをしていた精神科医が危険性を感じて、児童相談所に通報までしていた。
児相が通報を放置したと責める向きもあるようだが、
本来ならばその前に、親がこの精神科医と連携を取り、
医療保護入院というかたちで入院治療につなげるべきだったのだ。
未成年ほど、強制的なかたちでの入院には、保護者の決断が不可欠だからだ。
入院治療によって、加害少女の精神状態がどこまで落ち着いたかは、
正直なところ、分からない。
俺の携わっている患者の中にも、長年、「親を殺したい」、
「ひとを傷つけたい」という妄想・願望を捨てきれないひともいる。
(当たり前だが、入院治療を継続中である)
しかし、今回の事件の場合、加害少女は昨年に母親を亡くし、
その後も父親の再婚、一人暮らしなど、めまぐるしい環境の変化があった。
精神的に不安定になっていたことは間違いなく、
その部分へのケアは、入院治療によって行えたはずだ。
もっと言えば、親が自らの至らなさを自覚し、子供への理解を深めるなど、
親子関係を見直すチャンスにもなり得たかもしれない。
少なくとも、今回の事件は避けることはできたのではないかと思う。
やっぱりどう考えても、「親が悪い」。
俺も親から相談を受けていて、
「子供にいくら叱っても言うことを聞かない」「躾が入らない」
と嘆かれることは、よくある。
もちろん、精神疾患を含め何らかの障害が原因で
子供が問題行動を繰り返している場合もある。
親の叱責や関わりだけでは、どうにもならないことがあるのも、よく分かる。
だけど、事件や事故を起こすギリギリ手前で医療につながることができ、
綱渡りながらもなんとか、入院というかたちで本人の生命や尊厳を守れているケースほど、
親のマインドが違う。
それは別に難しい話じゃなくて、今起きている事実をきちんと受け止め、
子供の親として、感謝の気持ちや謝罪の気持ちを持つ。
そういう人間としての“こころ”がある、ってことだ。
だから周囲の人間も、「何とかしなくちゃ」と思って、必死に頑張る。
反対に、周囲が危機感を感じて手を差し伸べても、
どうにも上手く事態が進まないケースというのもある。
それは、親がどこまでいっても自分たちの都合しか考えていないからだ。
自分の親に、こころがあるか、ないか。
それを一番分かっているのが、当の子供なんだよ。
だから俺みたいな第三者が介入して、本人を医療や施設につなげても、
親が相変わらず、自分たちの生活、都合を最優先しているようでは、
絶対に、親に依存することを諦めないし、親が困ることをやりつづける。
もう俺はさ、今回みたいな未成年の場合はとくに、
まともな対応をしてこなかった親にも、ペナルティを与えるべきなんじゃないかと思った。
たとえば今年の二月、神奈川県小田原市で、
未成年の息子がたばこを吸っているのを知りながら止めなかったとして、
母親3人が書類送検されている。
昨年度、同じような事例で書類送検された人は全国で783人に上るそうだ。
これは、正しい対応だと思うんだよな。
改正精神保健福祉法では、家族の義務規定が削除されたが、
だからといって、問題を抱える子供を野放しにしていいことにはならない。
無責任に問題を放置した結果、事件や事故につながった場合には、
親自身にも刑事責任を負わせるくらいのことが、必要なのではないだろうか。
ちなみに刑法第105条には、「前2条の罪(注:犯人蔵匿、証拠隠滅等)については、
犯人又は逃走した者の親族がこれらの者の利益のために犯したときには、
その刑を免除することができる」とある。
つまり、犯人をかくまったり証拠を隠滅したりすれば、他人だったら罪に問われるけど、
親族の場合は、免除されることがある、ということだ。
なんだかこれも、今の時代にそぐわないよな。
俺は、自分たちの名誉や都合のために、子供の違法行為をひた隠しにする親を、
くさるほど見てきたから、なおさらそう思う。
それからこれは俺のもう一つの提言なのだが、
こういう事態にどんどん介入できるような、スペシャリスト集団を作るべきである。
今現在、全国にある保健所や保健センター、医療機関、
今回の事件で言えば児童相談所も含め専門機関が、
なぜ、問題を抱える家族に介入し、解決することができないのか。
それは、問題を抱えている本人と、その本人に対してまともな対応ができない家族、
そのどちらにも、正しいことをハッキリ言える人材がいないからだ。
正しいことというのは、とてもシンプルで、たとえば
精神疾患を抱えているひとに、「病気なんだから、病院にいこう」と言う。
ゴチャゴチャ言っている親に、「医療につないであげなきゃだめじゃないか!」と言う。
それだけのことなんだが、怖いだのヤバいだの面倒くさいだの、
そんな理由で専門家たちは、正しいことを面と向かって言わない。
当然、家族に対応策を教えたり、解決のために一緒に行動をとることもしない。
だからこそ俺は、スペシャリスト集団の人材として、
警察OBの方々が最適なのではないかと思っている。
なぜなら、ひとの命がかかわるような事案に際しては、
最優先で何をすべきか、瞬発力を持って判断する能力が不可欠だ。
その点、警察OBであれば、事件や事故の現場に赴くことが仕事で、危険な人物とも対峙してきた。
危機管理、危険予測という側面でも、このうえなく高い能力やノウハウを、すでに身につけている。
俺自身、危険度の高い業務の際には、110番通報をすることもある。
現場に駆けつける警察官の方々は、
暴れている患者さんに、「病院に行ったほうがいいよ」と声をかけてくれたり、
ワケの分からないことを言っている親には、「お父さん(お母さん)、ちょっとおかしいよ」と言ってくれたり、
遵法精神、倫理道徳に則った正しい行動をとってくれる、頼もしい存在である。
こういった経験豊富なOBの方々の力に、
俺の持っている、精神科医療に関するノウハウをプラスできれば、
もう一歩踏み込んだ介入ができるはずだ。
たとえば今回の事件のようなケースでも、
精神科医がSOSを出した時点で、児童相談所がスペシャリスト集団と連携をとり、
家族に介入して、親に入院治療を促すといったことも可能になるだろう。
これを「個人情報の漏洩」とか「人権侵害」ととるひともいるかもしれない。
だけど、明らかに重大犯罪を犯す可能性の高い問題を放置した結果、
未成年の加害者を出し、なんの罪もない少女の命が奪われたのだ。
表面的、理想的な、やさしい手触りの話ばかりをしていては、
いつまでたっても最善策は生まれないし、
本当の意味で、そのひとの尊厳を守ることもできない。
俺たちはもう、そのことを真剣に考える時を迎えたのではないだろうか。
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