俺が唸った! 名言 その7

「人生とは、出会いという器でしかない」

                                          (感性の精神科医)

 

移送の仕事をはじめて、信頼できる医師を探していたときに、

出会った精神科医の言葉である。

 

この先生は、薬物療法が中心となりつつある精神科医療において、

患者の“感性を上げる”ことを大事にし、精神療法に重きをおいて治療を行っている。

 

言葉の一つひとつにもこだわりを持っているが、

診察に来た患者の気配をよんだり、会話に間合いをとったり、不意をついたり……

そういった感性・感覚の部分を、尊重している。

 

診察は精神療法なので、言葉のやりとりなんだけど、

むしろ、こころのぶつかり合い、スポーツといった感じすらある。

先生自身、感性を鍛えるために、長らく武道を続けているしな。

 

俺はこの先生から、感性とは何かということを、ずいぶん学ばせてもらった。

 

さて、「人生とは、出会いという器でしかない」という言葉である。

 

俺自身、何もないところから社会に出て、こうして今まで生きている。

それはやはり、ひと様の助けがあり、出会いがあったからだ。

 

我ながら、人間版わらしべ長者のように、ひとからひとへとつながって、

よい出会いに恵まれてきたなあ、とありがたく思う。

 

ときどき、「どうやったら、そんな偉いひとたちに食い込めるんですか?」

という、不躾な(笑)質問をされることもあるのだが、

俺が、器のでかい人生の先輩たちに会ってみて一つ、感じるのは、

みんな、宇宙の視点で物事を見て考えている、ってことだ。

 

そういうひとたちは、目先のことばかり考えている人間や、

私利私欲でしか動かない人間とは波長が合わないから、

表面的には丁寧に対応するけど、絶対に深く付き合おうとしない。

 

これは俺が実体験として昔から思っていることだけど、

良い思いがしたいとか、良い暮らしがしたいとか、実績が欲しいとか言うなら、

ひとが嫌がってやらないようなことを、徹底してやればいいのだ。

 

他人と同じような人生の歩み、仕事をしながら、

他人より良い暮らしをする方法など、ないのである。

 

それと同じで、良い出会いがほしい、良い人間関係がほしいと思うなら、

出会いという器を、もっともっと大きく育てるしかない。

 

そのためには、人間を、区別差別せず大事にする。

それしか方法はないのだ!