価値観がゴロリと
今や、ほとんどのひとが一定の教育を受けることができ、
職業や結婚(恋愛)など、ようするに生き方全般を、
自由に選択できる時代になった。
しかし、本当に自由かと言われればそんなことはなく、
多くのひとが、“生きづらさ”なるものを抱えて生きている。
自由とは何か、教育を受けるとはいったい何か、と思いたくもなる。
問題を抱える家族からの相談を受けていても思うことだが、
主に30代以降のひきこもりや無就労、あるいは家庭内暴力や、
物質使用障害(薬物やアルコールへの依存)などに悩むひとでは、
ある程度の学歴や知識を身につけていることも多い。
だからこそ、なぜ自分がこうなったのか……ということについて、
医療にかからずとも、独学で本を読んだり勉強をしたりしている。
たとえば、親との関係に問題があるのではないかとか、
〇〇がきっかけでとか、自分には〇〇が足りないから……などと、
自分なりに、答えを見つけようと努力しているのである。
もちろん、その努力が良いほうに実り、社会生活を送れているひともいるだろうが、
頭だけでコチコチに考えてしまって、よけいに自分を苦しめてしまっているような場合もある。
とくに今、30代以降のひきこもりを支える親世代は、
そこそこの生活ができるだけの資産や、持ち家を持っているケースが多い。
だからこそ本人にしてみれば、
「親との関係を断ち切ったほうが、自分は健全に生きていける!」
「少しでも働いて、社会参加しなければならない!」
などということを、頭では理解しながら、経済的な面で親への依存を断ち切れず、
結局は身も心もがんじがらめになったまま、年を重ねてしまっている。
言い方は悪いかもしれないが、
親が資産を持っていることや、本人に学があることが、
マイナスになってしまっているようなケースも、現実にはあるのだ。
こうなったときには、もちろん本人の状態にもよるのだが、
第三者が介入してでも医療につなげて、
心と体をやすめる時間をもったほうがいいと、俺は思っている。
俺は、そういう家族のケースをたくさん見てきたし、
いろんな意味で最近は、「来るとこまで来たな!」と感じてもいる。
だからこそ、今まで当たり前のように思われてきた価値観……
金だの学歴だの、いい就職だの、見た目の美醜だの、そういったありきたりの価値観が、
ゴロリと変わるような時代が来るのではないかと、ひそかに思っている。
つまり、俺がありきたりの価値観に迎合しない理由は、
世迷いごとでもなんでもなく、かっこたる経験則から来ているってわけだ!
俺は今、来たるべきそんな時代を、悠々と強く、しなやかに乗り切れるよう、
自分なりの価値観、信念をもう一度、磨いて磨いて磨きたおしておきたいと思っているのだ!