「孤独」のもたらす功罪を考える①
先日の「消費し、消費される人生」、「持ちつ持たれつお互い様」
の記事でも少し触れていることだが、
高齢者をターゲットにした詐欺(限りなく詐欺に近い商売も含め)について取材をしていた際に、
弁護士の先生が、「これは家族の構造的な変化がもたらした、社会問題だ」と言った。
どういうことかというと、これまで日本人というのは、
「家族」「会社」「地域社会」といったものに、無条件に守られてきたわけだが、
少子化、核家族化により、家族のつながりは圧倒的に弱くなり、
家族のかたちや、存在意義そのものが変わってしまった。
と同時に、会社や地域社会においても、人間関係は希薄になった。
結果、お年寄りほど後ろ盾がなくなり、「孤独」を感じている。
そこに、詐欺がはびこっている……というんだな。
これはまさにその通りであるのだが、俺の立場から考えてみると、
この「家族の構造的変化」がもたらした「孤独」を感じているのは、
何もお年寄りに限ったことではない。
親にしても子にしても、言えることであり、
実はそれが、精神保健の分野や隠れた犯罪という、俺の扱っている分野にもつながっている。
だからこそ「孤独」の抱える闇深さや、「孤独」が引き寄せる諸々の悪いモノについて、
俺たちは心しておかなければならない。
たとえば、お年寄りじゃなくても、成人した大人が
いとも簡単に「寂しい……」などと口にする。
生身の人間だけじゃなく、携帯やらSNSやらで、
常に誰かとつながっていたがる。
そんな思い自体が、犯罪やこころの病気を引き寄せる、
とすら、俺は感じているんだな。
実際今の世の中、「〇活(婚活・終活)」だのセミナーだのサークル活動だの、
表面的には当たり障りない形で、孤独なひとを取り込む手法が流行っている。
もちろん、純粋に何かを楽しむために集まっているグループもあるだろうが、
中には、背後に何があるかよく分からない、限りなくグレーに近い集団もいる。
俺が相談を受けた例で言えば、最初は趣味のサークルとして勧誘されたのに、
気がついたら、そのサークル自体が深く関わっているマルチ商法に誘われて大損したとか、
セミナーと称するものに呼ばれ、よく分からない講義に何十万円もつぎ込んでしまったとか、
すごく親しくなって抜けられなくなった段階で宗教に勧誘されたとか、
そんな話を、けっこう耳にしている。
対象者はいずれも、20代~30代の若い人たちだ。
本人は、「みんなでワイワイ楽しくやろう」「みんなで一緒に成長しよう」
などといった耳障りのよい言葉に乗せられて参加しているので、
深く考えずに、自分の友達や兄弟を呼び込んでいるケースもある。
つまり、詐欺的商売の被害者になる可能性もありつつ、
一方では、加害者として加担もしてしまっているのだ。
マルチ商法にしてもセミナーにしても、
あくまでも法にはひっかからないよう、それはうまいことやっている。
その手法は、言ってみればマインドコントロール、洗脳に近いだろう。
しかし冷静に振り返ったときには、
私腹を肥やしているのは、大元の人間たちだけなのである。
そういう集団に限って、ビジネスライクな付き合いではなく、
「友達」「仲間」という概念をすり込んでくるから、
騙されていることにも気づきにくいし、
何かおかしいと思っても、自分だけ足抜けする勇気が持てない。
これも結局は「孤独」につけ込んだやり方だと思う。
そもそも俺が見てきた限りだが、こういう集団にひっかかる奴は、
やっぱり親との関係も表面的で、歪んでいる。
家族の愛情を知らずに育っているから、他人からよく思われたいという見栄、
孤独でいたくないという気持ちも人一倍強く、
人の集まる輪があれば、見境なく突っ込んでいくようなところがある。
対処法としては、そういう集まりに参加する際には、
背後に何か(怪しい企業、暴力団やカルト宗教など)ないか、
今はネットでちょっと検索すれば、何かしら出てくる場合もあるので、
よく調べたり考えたりしてみるべきだ。
それでも根本的に、自分の人生や親との関係を振り返って、
一度は、「孤独」に真摯に向き合わない限り、
同じことの繰り返しになってしまうのだが。
これは「孤独」→「犯罪」につながるパターンだが、
「孤独」→「こころの病気」につながるパターンもある。
長くなりそうなので、明日に続く。