嬉しかったこと!
家族の問題を解決するためには、誰かが犠牲を払わなければならない。ここのところずっと、俺はそんなことを考えていた。
俺のところには、問題を抱えている家族がいろんな相談にくる。家族の要望で、問題の火種となっている本人に会うことも多い。場合によりけりだが、親に暴力振るっているとか、健康な身体を持っているのにいつまでも親のすねをかじっている奴なんかに会うと、俺は初対面でも叱ったり諭したりする。
本人からしてみれば、「なんで押川なんかにそんなこと言われなきゃなんないんだ」って思うだろう。本来なら子供を叱るっていうのは親の役目なんだけど、そういう家族ほど、もはや本音で向き合えなくなっているのだから、仕方ない。
昨日は、数年前に請け負ったケースの親御さんに、久しぶりに会った。個人のことなのであまり詳しくは書けないのだが、 当時、本人は他人を傷つけたりして、かなりキワキワのところにいた。誰がみても明らかに罪を犯しているのに、「俺は悪くない」の一点張りで、親の言うことも警察の言うことも、まったく耳に入らない状況だった。
俺には、本人が心の深いところで苦しんでいるように見えたし、釈放された後は家に引きこもり、髪も伸び放題、風呂にも入れない状態が三か月以上も続いていた。これは医療の範疇で、しかるべき専門家に診てもらうべきケースだと考えた。親御さんも、もちろん同じ思いだった。
「自分は病気ではない。病院に行く必要なんかない」と言い張る本人に、 俺は厳しい言葉もぶつけた。結局、何時間もの押し問答のすえ、最後の最後で親御さんの堪忍袋の尾が切れた。だけど、親御さんが本人にぶつけた言葉は、 本当に子供を愛していなければ出てこない、心のこもったものだった。そこでようやく本人も、親の思いに気づき、医療にかかることを受け入れたのだ。
とはいえ、受け入れてくれる医療機関を探すのも容易ではなく、役所やら保健所やらいろんなところに出向き、俺は大声を張りあげ、訴えた。職員たちは一様に、面倒なのが来た!と言わんばかりの表情をしていた。最終的には「押川がここまで言ってるんだから…」と相手が折れて、医療につなげることができた。
本人はもう二度と俺には会いたくないと言っていたし、親御さんも「ここからは家族で頑張る」と言い、俺の仕事はそこで終わった。
その親御さんに数年ぶりに会う機会があって、本人の現状を聞いた。カウンセリングをしてくれた精神科医の腕もよかったらしく、何年もの時間をかけて、本人は今、人並みに働き自活しているという。「医療につなげることができて、本当によかった」と親御さんは言った。「当時より今のほうが、家族の絆は深まりました」とも。
そこにいたるまでに、家族がどれだけ悩み苦しんだことか。本人も家族の信頼を取り戻すために、必死で努力したのだろう。その計り知れない時間の重みに、俺は胸が熱くなった。
それから、親御さんは俺に向かって頭を下げた。「あのときは本当に、押川さんに“汚れ役”になっていただいて…。 そのおかげで、私たちの今があります」。“汚れ役”という言葉に思わず笑ってしまったが、やっぱり俺の考えていたことは間違ってないんだと、つくづく思わされた。
家族の問題を解決するためには、誰かが犠牲を払わなければならない。だけど俺は、家族が絆を取り戻せるなら、いくらでも犠牲になりたい。(もちろんお金はキッチリ頂くけどな!)。俺は感慨深い気持ちになり、親御さんと別れたあと、釣り道具を持って夜の海に行った。