おめでたくはないが46歳
昨日、Facebookを通じて「誕生日おめでとう」というメッセージが何通か届いていて、
そうか俺の誕生日か、と気づいた。
思えば俺は子供の頃、誕生日に家族(お袋)から、
「おめでとう」と言われたことが、一度もない。
「また一つ大人になったな。大変だな」とは言われてはいたが。
もちろん、プレゼントをもらったことも、一度もない。
言葉にすると冷たく聞こえるかもしれないが、
俺はお袋のその淡々とした、でもちょっと含みのある笑みに、
「そうか、大人になるのは大変なことなのか。よっしゃあ、かかってこい!!!」
と、かえって気合いが入っていた。
だから小学生くらいになり、同級生たちが、
誕生日には親から「おめでとう」と言われ、プレゼントをもらっていると聞いたときには、
「はああ? 大人になるのは大変なことなのに、おめでとうとは、おかしいのう」
と、たいそう驚き、疑問に思ったものである。
説得移送の仕事を始めてからは、誕生日についてより深く受け止めるようになった。
たとえば、誕生日の日付前後(1月1日生まれなら、毎月1日の前後)は、
患者さんの病状が悪くなったり、凶暴性が増したりすることが、
データとして浮かびあがってきたのである。
それに気づいて以来、移送などで本人に接触する日は、
誕生日の日付を避けて、設定するようになった。
本気塾の塾生も同じである。
もう30近くのいい大人が、自分の誕生日が近づくと、そわそわしだす。
お祝いの言葉、ケーキやプレゼントがないと感情が不安定になる。
生まれた日には、バイオリズムを狂わせる何かがあるのかもしれない。
しかし一方で、育ってきた背景も非常に大きく作用していると思う。
俺が見てきた限りでは、誕生日に不安定になるタイプには、
幼少期、イベント時にしか親の注目を集められなかった、ということが多い。
普段はまったくこころの交流がないのに、
誕生日やクリスマスだけは盛大にお祝いして、欲しいものを買い与える。
本人にとっては、一年のうちで唯一、自分が主役になれる日なのである。
だからこそ、ものすごいこだわりがあるし、
自分の思うとおりの誕生日が送れないとなると、おかしな言動をとり出す。
俺はそういうのをたくさん見てきてしまったので、
若かりし頃は、事情を分かっていないスタッフが買ってきた俺の誕生日ケーキを
「気持ち悪いこと、するんじゃねー!」とぶん投げたこともあったな。
そんな経緯があるので、うちのスタッフは今では、いい感じに冷たくて、
「Facebookで自分の誕生日に気づいたわ~」という話をしたところ、
「はあ、そうですか」とあっさり流されたぜ(笑)
そんなわけで俺は、誕生日も普段と同じ、一人メシだ!
とはいえ、俺ももう46歳になったので、
皆さんからいただいたメッセージは、ぶん投げたりせず、
応援の言葉として、ありがたく読ませていただきました。
ひと様とこころでつながっていることにこそ、
この世に誕生してきた意味があるってもんだぜ。
今後もますます頑張ります!!