困った困った詐欺
以前、くれくれ人間でも書いたことだが、
ひとに何かをやらせる、たとえば金を出させたり、生活の面倒をみさせたり、
そういうことを、いともさらりとやってのける奴がいる。
俺が今、かかわっている若い奴なんかも、まさにそうで、
詳細は伏せるが、親だってやらないようなことを、平気で他人に求める。
その手法たるやみごとなものなのだ。
たとえば、川で溺れているひとを見かけたら、ほとんどのひとがとっさに、
通報するとか、浮きになるものを投げ入れるとか、あるいは自ら飛び込むとか、
助けるためのアクションをとるだろう。
俺のかかわっている奴はまさに、この「溺れている状態」の演出がうまいのだ。
何か、自分にとって損なこと、面倒なことが起きると、
困った困った……と、他人をつかまえて訴える。
「お願いします」と頭を下げてくるならまだしも、言葉では言わずに、
ひたすら「もう死ぬしかない」くらいの悲愴な空気を、全身から醸し出してくる。
俺は実際、そいつとは何の貸し借りもないし、ほとんど赤の他人の関係なのだが、
そんだけ困ったオーラを振りまかれて、「知らねーよ」とは言えない。
強迫観念のように、ああしてやらなければ、こうしてやらなければ、と考えてしまう。
溺れている人間を、無視できないのと同じだな。
だが、よくよく考えてみると、そいつの困っていることって、
別にぜんぜん、たいしたことじゃあ、ねーんだよな。
たとえ一度は失ったとしても、自分でいくらでも取り戻せるものばかりだ。
俺はなんだかんだそいつに、今までけっこうなことをしてやってきたが、
一度たりともそいつの口から「そこまでしていただくわけには、いきません」
という言葉を聞いたことがない。
今日、その事実にふと気づいて、俺はゾッとしてしまった。
この詐欺的手法を手放さない限り、永遠に他人様にたかって生きることになる。
それでは、まともな人間も、まともな居場所も、ついてこないだろう。
詐欺的手法を手放すも手放さないも、本人の自由ではあるのだが、
俺の目の届くところにいる限りは、徹底的にぶっつぶしてやらな、いかんな!
負けねーからな、俺は!!