家庭の中に事件がある

昨日のブログの続きになるが、

親から「死にます」メールをもらった若い奴に、俺は

「110番通報しろよ」とアドバイスした。

 

彼は、親には決別を宣言していて、もう会う気もない。

物理的にも、離れた場所にいる。

その状態で「死にます」なんてメールが来たら、

警察にお願いして、安否確認をしてもらうしかない。

 

それが、一般人にできる、唯一の対応なのだ。

 

だが、彼は、110番通報など考えもしなかった、と言う。

「親が本気で死ぬとは思えない」「単なる脅しだと思う」

というのが、その理由だ。

 

彼の言うことが事実なら、母親のやっていることは、

死ぬ死ぬ詐欺であり、死を取引材料にした恐喝である。

俺からしたら、もはや「犯罪」のレベルだ。

 

そして、その母親のやり方に対して、

疑いを持たない(110番通報しない)本人も、完全に毒されている。

 

この例でも分かるように、俺が携わる対象者の家庭には、

実際に表沙汰になっているかどうかは別として、

「事件」や「犯罪」が存在することが、とても多い。

 

これはどういうことかと言うと、

明らかに110番通報して警察介入させなければいけないような事案ですら、

精神疾患というオブラートに包んで、

俺みたいな人間のところに持ってくる家族が、多いということだ。

 

そこにはいつも、「事件沙汰にしたくない」「自分たちに不都合があっては困る」

という親の都合や見栄が、見え隠れしている。

 

逆に、保健所など行政機関や医療機関は、

明らかに精神疾患で、医療につなぐべき患者を抱える家族に対して、

「何かあったら110番通報を」というアドバイスに終始している。

これでは最初から、患者を「犯罪者」としてジャッジしているようなものだ。

 

今の精神保健分野の大きな問題は、まさにここにあると、俺は思う。

ようするに、家族も、周囲の人間も、専門家ですらも、

自分たちの都合の良いように、対象者を「病気」にしたり「犯罪者」にしたりして、

やり過ごしているのである。

 

本人の人間としての尊厳を真剣に考えたときには、

そんな対応は、絶対にできない。

 

だから俺は、対象者が精神疾患ならば、こじ開けてでも医療につなげる。

違法行為が発覚すれば、警察に介入してもらう。

長い目で見たときにはそれこそが、本人の社会復帰、更生につながるからだ。

 

家庭の中に「事件」や「犯罪」が増えたからこそ、

「精神疾患」か「犯罪」かを見極める目だけは、濁らせてはならない。

俺はその目を鍛えるために、どんなにきつくても、やばくても、

現場に足を運んで、本人に会うということを、ずっとやってきた。

 

ちなみに冒頭の「死にます」メールを送ってきた母親は、

翌日には、何事もなかったかのように、世間話のメールを送ってきたそうだ。

 

重いものを背負わされて、生まれてきたなあ……と思う。

でも、その重いものを降ろすかどうかは、

どこまでいっても、本人の意思にかかっているのだ。