自由とは究極にきついことである
子供に関する親からの相談を受けていて、ときどき、
「(子供が)一応、仕事はしているのだが、肉体労働系の派遣仕事(アルバイト)で、
何の保証もないため、将来が心配で……」
と聞くことがある。
親が何を望んでいるのかは知らんが、俺は、本業でいつも、
就労どころか社会生活を送ることすら難しいケースを扱っているので、
働いているだけマシじゃないですか、と思ってしまう。
だいたい今のご時世、将来的な保証のある仕事が、
果たしてどれだけあるだろうか。
どんな大企業だって簡単に潰れるし、資格を持っていたって食えない時代なのだ。
じゃあ、公務員なら安泰かといえば、最近は不祥事が増えていることから、
入ってからの規律も、厳しいものになっていると聞く。
人間性を試され、振り落とされるような機会も、たくさんあるそうだ。
そんな話を耳にするたびに、大事なのは、
どんなきつさにも耐えられる屈強な肉体と精神力だと、つくづく思わされる。
シコシコ勉強だけ強要して、「●●になれば」「●●があれば」
なんて考えを子供に押しつけていること自体、改めるべきではないだろうか。
「アルバイトを二つ三つもかけもちして、月に2、30万稼いでます」
という若い奴と、飲み屋なんかで知り合って、話をすることがある。
たくましいな! と俺は思う。
この先の時代を、生き残っていけるのは、
こういうガッツのある奴らなんだろう、とも思う。
人生を楽しみたい、自由に生きていきたい……
この国にはいつしか、そんな甘い話を簡単に口にする輩が増えたが、
それは、この国が高度経済成長を遂げていた間の、単なる幻想である。
今のご時世、本当に自由に生きたい、自由にもの申したいと思うなら、
ひと様の百倍、きつい思いをして働くしかない。
自由とは結局、究極のきつさの中にある、一瞬の晴れ間のようなものなのだ。
だからこそ俺は、このご時世に何の保証もない肉体労働を、
必死こいて頑張っている若い奴には、無条件にエールを送りたい。
そういう若い奴らのこころの中に、清々しい青空が広がっているのが見えるからだ。