人間関係の逆張り
自分とはそりが合わない、生理的に合わない、話が合わない……、
ほとんどのひとが、そういう他人を敬遠し、退けて生きていると思う。
そして、それこそが正しいやり方だという概念が、まかり通っている。
でも本当に、それでいいのだろうか。
そういう相手に真摯に向き合ってこそ、
本質が見えて学ぶことも多いし、なにより自分自身が鍛えられる。
俺は、その信念で、ずっとやってきた。
最近になって、俺の信念は間違ってなかった! とつくづく思う。
なぜなら、俺の出会う、器のでかい人間力のある先輩たちも皆、
周囲が「こいつはダメだ」「危ない奴だ」というような人間にほど、
こころをかけて、生きてきていることを知ったからだ。
人間関係の逆張り、とでも言おうか。
たしかにこの逆張り方式には、リスクもある。
さんざん目をかけ、信頼もしたけど、
結局、周囲の評価どおりのとんでもない人間だった、で終わることもある。
一方で、あるときから頭角をあらわし、立派な人間になった例もある。
いずれにしても、学ぶことは多い。
もちろん、犯罪を繰り返しているような、本当の意味での「危ない奴」に関しては、
対応するにも危機管理が必要なので、安易に勧めるつもりはない。
だが、自分にとって気の合う、言ってみればラクで楽しい人間ばかりと接していて、
自分自身のこころの成長が見込めるだろうか?
そもそも俺自身、しょーもない経歴しかもたず、
大多数のひとから「押川はダメだ」「危ない」と言われるようなことばかり、やってきた。
でも、そんな俺を拾い上げて、目をかけてくれた大人が、少なからずいた。
地位も立場もあるひとが、俺みたいな人間に頭を下げ、
話を聞きたいと言ってくれる。
その姿を見ただけで、俺は「このひとは立派なひとだな」と感動したし、
少しでも期待に応えられる人間になりたい! という励みにもなった。
俺自身が、器のでかい大人たちに受け入れられることで、
成長もさせてもらってきたからこそ、
そりが合わない、話が合わないなんて、小さいことで、
他人を退けるような生き方は、したくないなと思ってしまう。
逆張りの人間関係こそが、
自分を鍛え、そして相手も鍛えるのだ。