自由な時間をなくせ!

こころの病気のひとが精神科病院に入院すると、

程度の差はあれど、良くなるのはなぜか。

 

治療や投薬の効果はもちろんだが、

他者が介入する、という側面があることは、

非常に大きいのではないだろうか。

 

精神科の病棟は、基本的に他の患者との相部屋である。

もちろん個室や保護室もあるが、

医師の回診や看護師の見回りがあり、

「まったく一人の時間」というのはなくなる。

つまり、自由な時間がなくなるのである。

 

それを人権侵害だ何だと言うひともあるが、

俺は、自由な時間をなくすことは、大事なことだと思う。

 

いくら精神疾患が理由とはいえ、

ずっと自室にひきこもっているような場合、

一日の大半が自由な時間である。

 

人間、自由な時間ばかりになれば、

好きなときに寝て起きて、好きなときに飯を食って……と、欲求値はあがる一方だ。

自分のことばかり考えるようにもなり、こころを健康に保てなくなる。

 

好き放題やってきた人物にとって、

規律ある入院生活は、それだけで辛いものだろう。

しかし、病院職員や他患者の介入を受け、

自分の価値観や要求が通らないという経験をするからこそ、

「節度」をわきまえることを知る。

それこそが、社会性というものではないだろうか。

 

これは、一般のひとにとっても同じだ。

 

俺はいつも「現場が大事」と言っているが、

現場の人間がシャキッとしていられる理由の一つに

「自由な時間がない」ということが挙げられる。

 

基本的に現場の人間は、常に相手の都合や状況に合わせて、

仕事をしなければならない。

 

真夜中に急遽、動かなければならないことや、

すべてのスケジュールを飛ばして別の対応をとることなど、日常茶飯事だ。

 

だから、空いた時間があっても、精神的にはまったく自由ではない。

 

「無」になって、ホッとしている時間なんて、

トイレ(大)で便器に座っているときと、

寝ているときだけじゃないかと思うもんな。

 

しかしそのエンドレスの緊張感こそが、

脳みそをキュッとさせてくれているように思う。

 

病気のひとの話に戻ると、

入院治療でせっかく病状が改善したのに、

自宅に戻ったら再び悪化した、というのはよくあることだ。

服薬や通院をやめてしまうということもあるが、

結局は、自由な時間だらけの生活に戻るから、そうなる。

 

退院後、病気の再発を防ぐためには、

いかにして本人の自由な時間を減らしていくか、

それに尽きるんじゃないかな。

 

こう書くと、俺って、厳しくて嫌な奴みたいだけど、

社会で生きるということは、そもそもそういうことだと思うんだ。