命の重み
「軽い」人間は嫌いだ、と俺はたびたび書いてきたが、
言動や考え方の軽さは結局、「命」の軽さにつながる。
ひと様の命を軽く扱い、自分の命をも粗末にして生きる。
だから腹が立つのだ。
現状の精神科医療の仕組みについても同じだ。
精神疾患は、命にとても近いところにある。
自殺もそうだが、たとえば幻覚や妄想に悩まされて、十分に食事がとれていない。
長年のひきこもりの結果、身体疾患や虫歯などを放置して悪化させている。
薬物やアルコールのやり過ぎで身体を壊したり、
乱用した状態で事件や事故を起こし、自分だけでなく第三者の命まで奪ってしまう。
国は、法改正をしてまで、早期退院を推し進めているが、
短期間の入院ではとても、病状の回復が見込めない患者もいるのだ。
そういった重度の患者に対しても、判で押したように「早期退院」と告げる。
俺にはそれが、「早く死んで下さい」と言っているように聞こえてならない。
だから俺は、患者の経緯や病状も鑑みず、
マニュアル通りに「退院、退院」と言うような医師や病院職員のことは、
こころの底から軽蔑している。
そこまで、ひとの命を軽く扱っておいて、
どのツラ下げて、精神科医療従事者と言えるのだろうか。
言っておくが、法改正による締め付けが厳しくなっても、
「今の状態では、社会には戻せない」というような患者に対して、
なんとか入院継続を図っている医療機関や医療従事者もいるのだ。
そういう医師や職員は、だいたい高齢で現場経験豊富な方が多いのだが、
人間としての器もでかいし、暖かい。
つまるところ、この国がなんとなく生きづらくて、おかしな方向に進んでいるのは、
命を軽く扱うひとが増えてしまったことに、あるんではないだろうか。
その背景には、汚いものや危ないもの、やばいものを徹底して排除し、
勉強だけしときゃ安心、みたいな、この国の風潮があったと思う。
俺は、親の教育方針もあったとは思うが、ガキのときから、
汚いものや危ないもの、やばいものがあるところにばかり首を突っ込んできた。
そしてそこには、「突然の死」というものが、常に身近にあった。
もちろん、急な病気や、災害や事件に巻き込まれるなど、不可抗力の死もある。
だけど、そのひと自身が招きよせている死も、間違いなくある。
俺は、ガキの頃の体験や、警備や移送という仕事を通じて、それを嫌と言うほど見てきた。
その結果、「人間がこういう顔つき、動き、気配のときは危ない」という情報が、
俺の頭の中に、経験値としてすりこまれている。
だから俺は、携わっている患者さんや本気塾の塾生の様子を見て、
「お前、ちょっと危ないな。気をつけろよ」と声をかけることが、よくある。
すると本人が驚いて、
「実は昨日のバイト中、機械に巻き込まれて大怪我をするところでした」
と言ってきたりする。
俺の注意を素直に聞かず、浮ついた生き方を変えなかった塾生は、
本当に事故に遭い、生涯治らないほどの怪我を負ってしまった。
これは別に、霊感でも宗教でもなんでもなくて、
俺がリアルに接してきた「ひとの生き死に」の経験から、判断しているだけのことなのだ。
汚いものや危ないもの、やばいものを徹底して排除するような生き方は、
「ひとの生き死に」に触れ、命の重みを実感するような体験を、避けることと一緒だ。
そんな生き方を、「勉強」という名目のもと、親から強要されてきた子供たちが、
大人になって親に暴力を振るい半殺しの目に遭わせたり、
第三者に対して、傷つけるような言動を繰り返したりしている。
親は親で、そういう子供に対して「早く死んでくれ」と簡単に口にする。
そんなふうに命を軽々しく扱う親など、とっとと断ち切って、生き方を改めない限り、
結局は、親が望んだとおり、「早く死ぬ」ことになっちまう。
それじゃあ、あまりにも悔しすぎると、俺は思うぜ!!