「すべてお見通し」と言えるか

「プライバシー保護」「自由」「人権」……

それらが声高に叫ばれる時代になったけれども、

ひとたび履き違えたときには、行き着くところは

精神疾患か犯罪か、という気がしている。

 

住居が長屋だったり、兄弟で同部屋が当たり前だった頃には、

プライバシーなどないも同然で、鬱陶しい反面、

「見られている」ということが、人々のこころのバランスをとっていたように思う。

 

しかし、「個」があまりにも尊重されるようになった結果、

家族でさえ、子供が何を考えて、どんな行動をとっているのか、分からなくなり、

「バレなければ、何をしてもいい」という概念まで、まかり通るようになった。

 

だいたい親からして、子供が違法行為をしていようが、

「世間にバレてないんだから、いいじゃないか」という感覚なのだ。

あげく、うちみたいな会社に相談にきて、

「助けてください」と言いながら、平気で嘘をつく。

 

そこには、子供への愛情や、こころの底からの心配といった、

ぬくもりのある感情がまったく感じられない。

カッサカサに乾いていて、とても冷たい。

 

子供がおかしくなり、家庭内で問題が続発するのも、当然である。

 

そうならないためには、子供の幼少期に親が、

「お父さん(お母さん)は見ているぞ」「全部、分かっているぞ」

という姿勢を、見せておくしかない。

 

このときに大事なことは、核心を突くような話を子供にするときに、

「〇〇じゃないの?」などと疑問、問いかけの手法を使わないことだ。

「お前、〇〇だろう!」とハッキリと言い切る。

それでこそ、子供は親に対して「お父さん(お母さん)にはかなわない!」と思う。

 

ここぞというときには、親も勝負を賭けるべきなのだ。

そのためには、当たり前だが日頃から、

子供のことをよく見て、よく知っておかねばなるまい。

 

子供が遵法精神、倫理道徳を身につけるために、

最初の重石になるべきは、やはり親なのである!!