俺がメディアに出る理由
ときどきテレビの取材なんかも受けている俺だが、
扱う問題がヘビーなので、毎回、ハードルが高い取材になる。
そこまでしてなぜメディアに出るのか? といえば、
真実を知ってほしいという思いがあるからだ。
ストーカーや家族間の殺傷事件はじわじわ増えている実感があるし、
加害者に精神科の通院歴があった、家族が保健所や行政機関に相談していた……
という背景が、ニュースの中で取り上げられることも多い。
しかし、当のメディアの関係者でさえ、
精神科医療の現状については、ほとんど知らない。
そこには、実態をなかなか取材できない、ということもある。
関係各所は多くの場合、“人権”の名のもとに、事実を見せようとしないからだ。
たしかに、対象者や家族の人権が損なわれるようなことがあってはならないため、
その点は毎回、非常に神経を尖らせている。
俺の取材に協力してくれる家族も、テレビに出ることに積極的なわけではない。
それでも最終的に協力してもらえるのは、
「こうして家族も悩んでいるという実態を、知ってもらえるなら」
という思いがあるからだ。
実際に放映後には、俺の事務所にも、
「我が家と同じような家族がいるのかと驚いた」
「解決策もあるのかと、希望がわいた」
というような、感想と相談まじりの電話が鳴る。
俺はこういう感想を聞くたびに、まだまだだな、と思う。
病気のひとが当たり前に社会から理解されて、
当たり前に医療につながることのできる、そういう世の中にしなければならない。
それにメディアの人間は、第三者の立場として、必ず穿った目で俺を見にくる。
「押川、本当に説得できるのか?」「問題解決できるのか?」という
非常に厳しい視線を、常に投げかけられることになる。
俺がミスをおかせば、その「負」がそのまま世間にさらされるだろう。
でも俺にとっては、その厳しさに堂々と立ち向かうことで、
緊張感も持てるし、また新たな発見もある。
メディアを利用して、社会にこの問題を投げかけたとき、
もしかしたら世間は、俺の考えを批難し、受け入れないかもしれない。
ダメなときは、逆にメディアにつぶされることだってあるだろう。
それならそれでいい、と俺は腹をくくっている。
それがこの国の真実なのだろうと思うからだ。