個の技量
誰もがうらやむような大企業に勤務して、なおかつ相当な上のポジションにいるのに、「しょせんはサラリーマンですから」って言う人がいる。この人は本質が見えているんだなあ、と、感心することしきりである。
企業に属している以上、 どんなに高い能力や素晴らしい人格を持ち合わせていても、ちょっとしたミスや部下の失態…、そんな理由でレールから外されてしまうことがある。そういう理不尽な目に遭っても、サラリーマンに文句は言えない。大企業であればあるほど、一度失格の烙印を押されたら、二度と這いあがれないんだ。
俺は20年前、三流大学を中退して、警備業の会社を興した。当時はバブル真っ盛りだったから、 同級生たちはみんな、そこそこの企業に就職していった。自営業、しかもガードマンの棒振りなんて、サラリーマンとは真逆の苦労を選んだ俺を、「押川はヘンな奴だ!」と、同級生たちは笑ったよ。
でも俺は、 「20年後は、個の技量が問われる時代になる!」 と思っていた。分かりやすく言えば「職人」。職人っていうのは、モノ作りに限ったことじゃない。誰にも真似できない、競争相手がいないくらいの、知識・テクニック・経験を持ち合わせた人。その世界でのスペシャリスト。そういう存在になんなきゃ、メシが食えない時代がくるって、俺は信じこんでいた。
だからこそ、背伸びをして会社を興し、金を稼ぎながら自分だけの仕事を探してきた。組織に属してしまったら、職人道は追い求められない、って思っていたんだ。
金銭的なことはもちろん、肉体的、精神的に苦しい時期も、もちろんあった。だからってどこかに所属して、毎月誰かに給料をもらうおうなんて考えたときには、俺は絶対にダメになる!と、自分を追い込んできた。
そして20年の歳月を積み重ねてようやく、 俺は間違っていなかった!と思えるようになった。俺がやりたいと思う仕事を、俺がやりたいと思うやり方で、やれるからだ。これは本当に楽しい。
俺は最近になって、名刺に肩書きを載せるのをやめた。名前だけの名刺を見て、「押川さんはどちらの所属ですか?」と聞いてくる人がいる。「私は、押川剛という名前に就職しました」と、俺は答える。ほほう、という顔をする人もいれば、馬鹿にしたように笑う人もいる。別にどっちでもいい。
俺は死ぬまで、個の技量を追求していきたい。
そう思っているだけだ。