家族の力
俺は仕事を通じて、家族の力が本当に弱まっているのを、ひしひしと感じている。
家族の力というのは、きれいな言葉で言うと、
“絆”とか”信頼”とかになるのかもしれないが、
俺の感覚で言うと、「体力のねー家族だな」って感じだ。
根気、忍耐、粘り強さ、結束……
体育会系みたいなノリだが、その“体力”こそが、
家族という共同体から失われているように思う。
問題行動を繰り返す患者(対象者)を抱えて、
何かしらアクションを起こしている家族は、けっこう多い。
本人の生活の面倒をみていたり、医療につながなければと動いていたり、
あれこれ調べたり相談にいったりと、それなりに動いていることがある。
なのになぜ、問題が解決しないのか?
もちろん、精神保健分野を取り巻く制度の不備もあるが、
家族の側にも、理由があることは間違いない。
家族の“体力”がないからこそ、途中で簡単に諦めたり、放り出したりする。
そういう家族に限って、各々がまったく違う方向を向いていて、結束力もない。
たとえば患者(対象者)以外の家族が三人いたとき、
体力のある家族は、結束して1+1+1=3の力を出す。
だから、物ごとが良い方向に動いていく。
だけど体力のない家族は、それぞれ好き勝手な行動しかしないから、
しょせんは、1×1×1=1にしか、ならない。
こういう家族の問題解決は、いくら周りが頑張っても成就しない。
家族って、チームなんだな、と俺は思う。
練習(日頃の生活)では、ケンカしたりぶつかり合ったりしていても、
試合(家族の一大事)のときには、「勝つ」という同じ目標めざして、力を合わせる。
俺の今までの経験からみても、
夫婦がキャプテン副キャプテンになって、困難に立ちむかえる家族は、
子どもが万が一、脇道にそれることがあっても、どこかで立ち直れるものだ。
もう一つは、家族の一人が全部を背負うスタイル。
サッカーで言えば本田みたいにガンガン点をとれる人間が一人いて、
ほかの家族は、直接の対応はしないが、後方でしっかり守りを固める。
この役割分担ができる家族も、意外と何とかなる。
(本田役の家族は、本当にたいへんな思いをするが……)
しかし、家族がチームとして機能するだけの体力もない、
エースストライカーもいない、となると
さすがの俺でも、できることはないなあと、この頃は思う。
「うちの家族は大丈夫かな……」と思う親は、
家族の一大事をシミュレーションして、
同じ方向に向かって結束できるか、考えてみたらどうか。
それができないという家族は、
もう腹をくくって、それぞれが独立して生きていく以外、
道はないんじゃないかと思うのだ。