耐力

ある方から教えてもらって、非常に納得したこと。

人間には、他人が見たときのイメージというものがある。

それこそが、そのひとの「キャラ」なのだという。

 

若いうちは、「イメチェン」などと言って、

キャラクターを変えていくことも可能だが、

35歳を過ぎたあたりから、それは不可能になるそうだ。

 

なぜなら、周りの抱くイメージというのは、

そう簡単に変えることができないからだ。

 

だけどその方は、こうも言うのである。

「そのキャラクターは、実は、本人が望んで作りあげてきたもの」

 

だから、俺に対しても、このように言う。

「押川さんは、『ヤクザに見られる』と言うけど、

あなた自身が若い頃、そういう生き様を望んできたでしょう?」

 

たしかに、俺はヤクザになろうと思ったことはないし、なったこともないのだが、

その色の濃い地域で育ってきたことは間違いない。

20代のうちは、突っ張るだけ突っ張り、無茶なこともたくさんやった。

その生き方を「よし」と感じていたこともまた、確かだ。

 

今の年齢になって、そういう生き方がきつい、『ヤクザ』のイメージは嫌だ、

などと思ったところで、今さらイメチェンはできない。

だって、俺がヤサ男になったり、インテリぶったりしたら、

かえって気持ち悪く、胡散臭くなるだけだろう。

 

だから俺は、まだまだこのスタイルで頑張るしかないし、

そうなると、俺にできることって、やっぱり現場仕事でしかない。

 

そして俺とは真逆に、若いときから「きちんとしたひと」「頭のいいひと」

と周囲から思われることを望んで、それなりに学問もし、

それなりの肩書きを得て、ひと様にも物申してきたようなひとは、

死ぬまで勉強を重ねて知性を維持し、規律ある生活をするしかないのだ。

 

若いひとには想像もつかないかもしれないが、

年を重ねるほど、体力的にも精神的にも、「継続」がきつくなっていく。

40、50代になってしょぼくれてしまって、

「昔はあんなひとじゃ、なかったのに…」と言われる多くは、

継続よりもラクを選んだひとじゃないかと、俺は思う。

 

若いうちは「体力」、中年からは「耐力」が勝負。

 

それができてこそ、じいさんばあさんになったときに、

そのひとのキャラに、いい感じで “濃い味”がつくのかもしれない。