繊細と豪胆
俺の仲良くしている友人に、
学生時代にスポーツで日本一になったことのある男がいる。
そのスポーツは、男らしさの象徴みたいな種目だから、
種目名だけ聞いたときには誰もが、豪快で豪胆な人物像を思い描くと思う。
たしかに彼は、超がつくほど面白く、豪胆な男でもあるのだが、
その反面、ビックリするぐらい繊細な面を持ち合わせている。
そういう男だから、いろんなひとから慕われて頼りにされていて、
俺と一緒にメシを食っている間にも、ほうぼうから電話がかかってくる。
その一つ一つに、真剣に悩みながら、でも素早くレスポンスし、
レスポンスのあとにも、「大丈夫かなあ」と呟きながら、
また別の誰かに連絡して、物事がスムースにいくようケアしておく。
そうやって、ありとあらゆるところに気を遣いながら、
俺の空いたグラスに、いつの間にか酒を作ってくれている。
「飲み会で異性を落とすテクニック」なんていうハウツー本を
ありがたがって読んでいる輩は、彼に一時間でも弟子入りしたほうが
よっぽどいい勉強ができるんじゃないかと思うぜ(笑)
俺はこの男と会っていると、
「こいつ、起きている間は、ひとのためにばっかり動いていて、
自分のことなんてミジンコたりとも考えないんだろうな」
と思って、感動してしまう。
俺も頑張ろう! と素直に思う。
俺は昔、剣道をやっていたので、
剣道で日本一になったことのある友人もいる。
そいつにもやっぱり、共通するところがあって、
限りなく強いけど、ものすごく繊細。そして優しい。
でもそれは、彼らが自分の弱さに何度もぶちあたり、それを認め、
壁を突き破って、強くなってきた証じゃないだろうか。
本当の繊細さは、強さの裏返しなのかもしれない。
俺は、こういう仕事をしているせいか、ときどき、
「私ってこんなに繊細なんです、ともすれば精神疾患なんです」
というアピールをしてくるひとに、会う。
しかし、本当の繊細さを知っている俺は、
こころにくるものを感じない。
それって、繊細なんじゃなくて、ただ弱いだけじゃねーの? と思う。
弱さを否定したいのではない。
ただ、今の時代、人間としての弱さを、
簡単に繊細という言葉に置き換えたり、
精神疾患にすり替えたり、しやすくなった。
だからこそ俺は、その言葉に、敏感になる。
弱い自分を認めて受け入れる。
それが、人間の強さに変わる。
自分の弱さを知ったうえでの強さだからこそ、
ひと様に対して細やかに優しい人間になれる。
ほんちゃんの繊細なひとたちを見ている俺は、そう思うのだ。