オオゴトにするタイミング①
今年の六月、家庭内暴力を振るう息子を父親が殺害する、という事件があった。
その事件の裁判員裁判が、東京地裁で行われた。
少々長いが、記事を引用する。
--------------------
(以下引用:朝日デジタル 2014年12月4日)
「妻と娘を守る義務がある」 三男殺害、父への判決
就寝中の息子の胸を刃物で刺し、命を奪った父に告げられたのは、執行猶予付きの判決だった。
東京地裁立川支部で先月下旬にあった裁判員裁判。裁判長は「相当やむを得ない事情があった」と述べた。ともにプラモデル作りが好きで、二人三脚で大学受験に臨むほど仲が良かった父子に、何があったのか。
三男(当時28)への殺人罪に問われたのは、東京都八王子市の父親(65)。黒のスーツに青紫のネクタイを締め、法廷に現れた。事件までは、監査法人の会社員。同僚からは「まじめ」「誠実」と思われていた。
事件の経緯を、検察の冒頭陳述や父親の証言からたどる。
約10年前、三男は都立高2年のとき、精神の障害と診断された。通信制高校に移るなどしたが、浪人生活を経て大学にも進学。充実した学生生活を送った。卒業後はガス会社に就職した。
しかし、次第に変化が生じる。仕事がうまくいかず、職を転々とした。「自分をコントロールできない」と本人も悩んでいた。昨年夏ごろから家族への言動が荒くなり、次第に暴力も始まった。
今年5月下旬、母親が三男に蹴られ、肋骨(ろっこつ)を骨折。「これから外に行って人にけがさせることもできる」。三男はそんな言葉も口にした。
父親は、警察や病院、保健所にも相談を重ねた。
警察からの助言は「入院治療について、主治医と話し合って。危害を加えるようでしたら110番して下さい」。保健所でもやはり、「入院について主治医と話して下さい」。
一方、主治医の助言は、「入院してもよくなるとは言えない。本人の同意なく入院させれば、退院後に家族に報復するかもしれない」。ただ、「警察主導の措置入院なら」と勧められたという。
措置入院とは、患者が自身や他の人を傷つける恐れがある場合、専門の精神科医2人が必要と認めれば、本人や保護者の同意がなくても強制的に入院できる制度だ。
主治医は法廷で、「家族の同意によって入院させた場合、三男は入院についてネガティブに考えると思った。警察主導の措置入院なら、本人の認識を変えるきっかけになると思った」と証言した。
ただ、警察は措置入院に前向きではなかった。被告が相談に行っても、「措置入院には該当しないのでは」との返答。三男は暴れても、警察が駆けつければ落ち着いたし、警備業のアルバイトを続けられていたことなどが理由だった。
いったい、どうすればいいのか――。父親は追い詰められていった。
6月6日、事件は起きた。
この日、父親は1人で病院に行き、主治医に三男の入院を相談。ソーシャルワーカーを紹介されたが、入院については、あくまでも警察主導の措置入院を勧められた。
午後8時半。妻からメールが入る。妻が誤って三男のアルバイト先の仕事道具を洗濯してしまい、三男が「殴る蹴る以上のことをしてやる」と怒鳴っている――。そんな内容だった。
父親は急いで帰宅した。暴れる三男を目にして、110番通報した。
駆けつけた警察官に、父親は再度、措置入院を懇願した。三男はこの日、両親の顔を殴るなど、いつも以上に暴力を振るっていた。しかし、三男は警察官が来てからは落ちついた。「措置入院にするのは難しい」。警察官は言った。
警察官が帰ると、三男は就寝し、父親は風呂に入った。
弁護人「風呂では、何を考えた?」
父親「主治医や警察に入院をお願いしたが、最終的には措置入院もできなかった。今の精神医療の社会的仕組みでは、私たち家族は救えないのではないか。そう思いました」
弁護人「今後ますます暴力は激しくなると」
父親「はい。三男は『今度は刃物を使うから覚悟しろよ』と言っていた。今度は刃物を振り回すと思った。私は逃げられても、妻はひざが悪いので逃げられない」
一家は当時、両親と三男、三男の妹である長女の4人暮らし。ただ、母親も長女も三男の暴力におびえ、追い詰められていた。
弁護人「家族で逃げることは考えなかったのですか」
父親「家を出ても、三男は私の勤務先を知っている。職場に怒鳴り込んでくると感じました」
弁護人「警察に被害届を出すことは」
父親「警察に突き出すことは、三男を犯罪者にしてしまうこと。その後の報復を考えると、それは出来ませんでした」
父親は法廷で、「三男は自分が犯罪者になることを恐れていた。家族がそうさせることはできなかった」とも話した。
7日午前3時前。父親は風呂を出ると、2階にあった出刃包丁を持ち出し、三男の部屋に向かった。寝ている三男の横に中腰で座り、左胸を1回、思い切り突き刺した。
父親「わたしは、妻と娘を守る義務がある。警察や病院で対応できることには限度があるが、暴力を受ける側は悠長なことは言っていられない。私は夫として、父として、こうするしか思いつきませんでした」
刃物を胸に突き刺すと、血が流れ出る音がした。しばらくして、手を三男の鼻にかざした。息は止まっていた。
父親はそのまま、三男に寄り添って寝た。
弁護人「何のために添い寝を」
父親「三男とは、もとは仲が良かった。三男のことを考えたかった」
父親は法廷で、何度か三男との思い出を口にした。
ともにプラモデルが好きで、かつて三男は鉄人28号の模型を自分のために作ってくれた。大学受験の時には一緒に勉強し、合格通知を受け取った三男は「お父さん、ありがとう」と言った。大学の入学式、スーツ姿でさっそうと歩く三男をみて、とてもうれしかった――と。
弁護人「あなたにとって、三男はどのような存在でしたか」
父親「友達のような存在でした」「三男にとっても、私が一番の話し相手だったと思います」
朝になり、父親は家族に事件のことを話さぬまま、警視庁南大沢署に自首した。
家を出る前、「主治医に相談に行かない?」と尋ねた妻に、「行くから。休んでて」とだけ告げたという。
母親「主人は子どもに向き合い、とにかく一生懸命でした」
証人として法廷に立った母親は、涙ながらに語った。
母親「私は三男と心中しようと思ったが、できませんでした。警察などに何回も入院をお願いしても、できなかった。どうすれば良かったか、私にはわかりません」
一方で父親は、事件から半年を経て、いまの思いをこう語った。
父親「今から思えば、三男を家族への暴力行為で訴え、世の中の仕組みの中で更生の道を歩ませるべきでした。三男の報復が怖くても、三男のことを思えば、そのように考えるべきでした」
地裁立川支部は11月21日、父親に懲役3年執行猶予5年を言い渡した。検察側の求刑は懲役6年だった。
裁判長「被害者の人生を断ったことは正当化されないが、相当やむを得ない部分があったと言わざるを得ない。被告は、被害者の人生の岐路で、父親として懸命に関わってきた」
ただ、こうも続けた。
裁判長「家族を守ろうとしていたあなたが、最終的には家族に最も迷惑をかけることをした。これからは、もっと家族に相談するよう、自分の考えを変えるようにして下さい」
父親は直立し、裁判長の言葉を聞いた。
法廷には、母親のすすり泣く声が響いていた。(塩入彩)
--------------------
精神保健分野に詳しくないひとならば、この記事を読んで、
「三男にも悪いところがあった」「家族もかわいそうだ」「警察は何をしていたんだ」
という感想を抱くのではないだろうか。
しかし、感情的になる前に、精神保健の実態を知ってほしい。
この事件が起きた当時も、俺はブログで、措置入院に関する説明をした。
重要な部分を引用して再掲する。
そもそも警察に出来る事は、「警察官による通報」(精神保健福祉法第23条)だけだ。
この「警察官による通報」が行われると、まずは保健師が本人と面談をし、
そこで保健師が精神保健指定医の診察が必要だと判断した場合には、
二名以上の指定医が呼ばれ、診察を受けることになる。
そして各指定医の診断が措置入院に該当すると一致した場合、
都道府県知事または政令指定都市の市長が、精神科病院等に入院させることになる。
上記のように措置入院に至るまでのハードルは高い。
俺が聞いたところによると、保健師や指定医の判断基準は、
「誰が見てもおかしいと思うような」レベルであるという。
よって警察官も、対象者が「警察官が到着しても暴れているような」、
よほどのレベルでない限り、警察官通報を躊躇してしまう。
記事中にあるように、「警察が駆けつければ落ち着いたし、
警備業のアルバイトを続けられていたことなどが理由」で、
措置入院に前向きでなかったのは、
警察というよりは、保健師、指定医の判断基準によるのである。
つまり、措置入院に関する当該主管行政機関は、
保健所(もしくは精神保健福祉センター)と、言える。
この記者が、措置入院に至らなかったことについて疑問や批難の視点を持つのなら、
なぜ、保健所に実態を取材に行かないのだ? と思う。
どのレベルなら措置入院として対応してもらえるのか、
もっとも正確な判断基準(いわゆるマニュアル)を持っているのは、
保健所であり、指定医なのだから。
そういう意味ではこの三男の場合、そもそもの病状が、
「措置入院」のレベルには至っていなかったのではないかと思う。
それなのになぜ、主治医は「措置入院」を勧めたのか。
俺なりに思うところはあるが、憶測になるので、ここでは書かない。
そうなると、本人が暴力を振るったときに家族が頼れるのは、警察しかない。
ここで、「警察は〇〇してくれなかった」と言うひともいるかもしれないが、
警察(司法)に助けを求めるなら、家族も司法のルールによって対応せねばならない。
今回の件で言えば、「親族間であっても、被害届を出す」ということだ。
報復を恐れる気持ちは分かる。
子供を犯罪者にしたくない、という言い分も分かる。
しかし、そこにこそ、この問題をオオゴトにしてしまうチャンスがあったのだ。
そうすれば、父親が述べているように、
「世の中の仕組みの中で更生の道を歩ませる」チャンスを、
息子に与えられたかもしれないのだ。
それを避けて、「殺人」という手段で、問題をオオゴトにし、
終焉・解決を図るというのは、あまりに短絡的と言わざるをえない。
だが今回、父親に執行猶予つきの判決が出たことにより、今後、
このような問題を抱えた子供を、親が殺すという事件は、増えるかもしれない。
この一件は、俺がここ10年ほどの間に、現場を見て、感じて、
「なんとかせねばならない!」と強く思ってきたことが、集約されている。
家族の実態がどうで、どこに問題点があり、具体的にどう解決していくか。
今、俺の考えることのすべてつぎ込んだ著書が、
来年の2月下旬、新潮社から出版される予定だ。
結局のところ、家族も、社会(特に精神科医療)のシステムも、
本人に一度たりとも更生のチャンスを与えない。
それが、今の世の中だ。
俺はそんな世の中を、なんとかぶち破っていきたい。
(関連記事)