抑圧からの解放
一人の人間としての個性を認められず、
親から抑圧されて育ったひとの、なんと多いことか。
親からの抑圧、とひと言で言っても、
虐待、育児放棄、躾という名の押しつけ、人生の強要、嘘……いろんな種類がある。
しかも、家庭で起きている大部分のことは、家族しか知り得ない。
だからこそ、ややこしい。
見た感じから「こりゃ、大変だ」と分かる家族ならともかく、
一億層中流と言われた頃から、
親はそれなりの企業に勤め、そこそこ裕福で、家族仲も良くて、子供も優秀で……
という家庭が、圧倒的に増えた。
俺のところに相談に来る家族も、大半がそのような家庭だ。
しかし、内情を事細く見たときには、
愛情のかけらもない、すべてを嘘で塗り固めた家族だった、
ということが、あまりに多い。
経済的には中流になれても、こころの面ではまったく追いついていないのだ。
そうこうするうちに、一億総中流の時代も終わってしまったわけだし。
親がどういう思いで、そのような家庭を築いたのかはともかく、
子供にとっては、幼少期はとくに、ほかの家庭の親子関係など知りようもなく、
親からどんなにおかしな教育を受けても、反論のしようもない。
「家族(親)とはこういうものなのだ」と、漠然と受け入れるしかない。
10代20代で、自分の親、家庭環境に違和感を覚え、
もがきながらも、その環境を脱したり、距離を置いたりできているひともいる。
自分で人生を取り戻すことのできた、強いひととも言える。
反対に、親からの抑圧から、うまく逃れられなかったひとが、
家庭内暴力に走ったり、こころの病気になったりしているのではないか。
あくまでも俺の経験上ではあるが、そのように感じている。
しかし、暴力や病気といったかたちでも、表面化しているだけ、まだマシである。
事件なら司法、病気なら医療と、受け皿があるからだ。
もっとも哀しいのは、親からの抑圧に気づかず、
あるいは気がついていても目を背けたまま、大人になってしまったパターンだ。
俺からすると、そういうひとが大人になったときには、自分で自分を抑圧しはじめる。
本当の感情に蓋をして、こころの動きよりも、金やモノなど目に見えるものに執着する。
だから、たとえ真面目に働いて、自分の家庭を持って、
不自由のない生活をしていても、“生きている”感じが、まったくしないのだ。
一方で、表面的な取り繕いのやり方だけは、親からしっかり受け継いでいるから、
年を重ねるごとに、バランスが悪くなる。
そのバランスの悪さが、ヒステリックな形での感情の発露につながる。
場合によっては、自分の一番大切なひと……、夫(妻)や子供に対して、
抑圧、締め付け、強要、といった行為を行ってしまう。
まさに、負の連鎖である。
この負の連鎖をどう断ち切るか。
自らのルーツを振り返り、自分という存在を丸ごと受け止めなおすことは、
一つの有効な手段だと思っているのだが、果たしてどうだろう。
余談ではあるが、NHKで放送されている「ファミリーヒストリー」という番組が、
ひそかに多くの視聴者の共感を得ているという。
これもまた、現代人が求める希望の、一つの現れではないかと、俺は思うのだ。
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