鉄格子の向こう側
もう30年も前の話だけど。
高校に入学したばかりの頃、学校帰りに自転車こいでたら、 どっかからギャーギャーワーワーわめく声が聞こえたんだ。
俺はてっきり、自分が呼ばれているのかと思って、声のするほうに近づいた。
そしたらそこには精神科病院があって、わめき声は、病室の窓から聞こえていた。
窓は背伸びしても届かないくらい高いところにあったんだけど、
俺は俄然、興味がわいてしまってさ。
近くの酒屋に走って、ビールケースを四個ばかり借りてきて、窓の下に積んだ。
窓には鉄格子がはまっていた。
その向こう側で、妙齢のおっちゃんたちが、ギャーギャーワーワー叫んでた。
みんな髪はボサボサだし、目はうつろだし、ヨダレやら鼻水やら出ている人もいるし。
なんていうか浮世離れしている人ばかりだったから、俺はすごくびっくりした。
まあ、向こうも俺を見て、すごくびっくりしていたんだけど。
彼らが窓のほうにわらわらと寄ってきたので、俺は聞いた。
「おっちゃんたち、何しよんか?」
「閉じ込められとるっちゃ!!」
おっちゃんの一人が答えた。
それから俺は、授業をサボっては、そこに遊びに行くようになった。
他校の不良と喧嘩したり女の子と遊んだり、俺はけっこう忙しい高校生活を送っていたんだけど、
それでも週に2~3回は遊びに行ってたな。
鉄格子の向こうにいたのは、だいたい40~60歳くらいのおっちゃんで、
たまーに、白髪混じりのおばちゃんもいた。
長崎とか、遠くは広島から連れてこられて入院してるって人もいた。
みんな家族には絶縁されていて、面会に来る人もいないから、
俺が来ることが唯一の楽しみだったんだろうな。
俺のこと、「坊主」って呼んで、可愛がってくれたよ。
「ビール買ってこい」とか「タバコ買ってこい」って命令されて、
自腹きって酒屋まで買いに行ったりもした。
今はそんなこと絶対できないけど、昔はそこらへん、すごくのんびりしてたんだよ。
学校生活に忙しくって、しばらく間が空いてしまうと、
「お前も精神病院に入院させられちょんかと思ったよぉぉ」
なんて、心配された。
だから俺は、学校がない夏休みなんかにも、せっせと通っていた。
ときどきフッと、昨日までいた人の姿が見えなくなることがあった。
「○○さんどうしちょん?」って聞くと、「殺されたっちゃ!!」って。
さすがの俺もびびったね。
何が理由で亡くなったのかはわからないけど、みんな「殺された」って言うんだ。
家族にも会えず、外にも出られずだったから、 彼らにしてみたら、
どんな死に方だろうと「殺された」ように感じられたのかもしれない。
当時は、精神疾患に関する情報も知識も、今みたいに社会に認識されていなかった。
精神科病院は、「脳病院」って呼ばれていたくらいだし、
俺に向かって「お前、そんなことしちょったら脳病がうつるぞ!」って言う同級生もいた。
ボコボコに殴られ、ロープでぐるぐる巻きにされた状態で連れてこられた患者の姿も、何度も見かけた。
ここの病院がどうこうっていうんじゃなくて、そういう時代だったんだ。
三年間、高校に通うのと同じように、鉄格子の窓にも通ったけど、
俺が知っているだけでも、八人が、ひっそりと死んでいった。
一人亡くなると、また新しい人が入ってくる。
退院したっていう話は、一度も聞かなかった。
高校卒業の日、俺は彼らに会いに行った。
「東京に行くけえ、もう会いに来れんちゃ」
そう告げると、おっちゃんたちは泣いていた。
俺も胸にぐっとくるものがあって……
あれは、たまんなかったな。
懐かしい話をしてしまった。
だけど、こういう出来事が今の俺を作ったんだなあと、 ときどき思い出すんだよ。