理解

「なぜ、こんなことをするのだろう?」

という振る舞いをするひとが、少なからずいる。

 

ときには、倫理、道徳、常識の範疇を超えたことをするから、

ぼやっと付き合っていては、厄介事に巻き込まれる。

 

たんなる友人・知人の類いであれば、

「縁を切ればいい」ですむかもしれないが、

家族や親族、あるいは仕事仲間ともなると

そう簡単にいかないこともあるだろう。

 

人間を見る目は、それなりに培ってきた自信のある俺だが、

最初からすべてを見通せるわけではない(当たり前だが)。

 

実際、自分の身近な人間関係でも、それこそ10年も20年もたってようやく、

「このひとは、こういう理由があって、このような振る舞いをするのか!」と、

謎が解けるというか、スッキリ分かることがある。

 

たいていは、育ってきた環境に関係している場合が多いが、

人間たるもの、自分に都合の悪いことを進んで話すひとは少ないし、

そもそも年をとるごとに、過去のことなど忘れていく。

 

わかり合っているようで、わかり合えていない部分など、

実は、たくさんあるのだろう。

 

でも、付き合いが長くなるほど、相手のことを知った気になってしまう。

だからこそ、自分の理解を超えた部分が出てくると、

「なんでだ!」「どうしてだ!」と、悩んだり怒ったりしてしまう。

 

その部分は、そのひとの家族関係、生育歴など、

ようするにその人物の過去、歴史にさかのぼらない限り、

納得できる答えなど見つからないのかもしれない。

 

よく、簡単に「自分のことを理解してほしい」と言ったり、

仮に言葉にしなくても、「分かってもらって当たり前」、

みたいな態度で、他人に接するひとがいる。

 

しかしそれを言うなら、自分の過去から何から、

すべてをさらけ出さして生きていかなければならないのだし、

それを全部、他人に受け止めてくれと言っているようなものだ。

 

そういう意味では、こころの底から信頼できて、理解し合えて、

「このひとだけは!」と思える相手が、一人でもいるのなら、

それだけで幸せな人生と言えるのかもしれない。