今年の漢字は「嘘」と「命」
今年の漢字が「税」に決まったという発表が、少し前にあったが、
「嘘」や「偽」を推す意見も多かったらしい。
俺も今年は、家族の「嘘」にずいぶん振り回された。
昔のことばかり懐かしがっても仕方ないのだが、
本当に十年くらい前までは、もうちょっと家族もまともだった。
たしかに、子供がおかしくなってしまった以上、
「親」としては失格と言われても仕方ないのだが、
「人間」としては、信頼できるところがあり、
社会人として社会に貢献もしている。
俺のような人間にも絶大な信頼をおいてくれていたから、
俺はよけいなことを考えずに、対象者(子供)の問題にだけ、
精一杯、取り組めば良かった。
しかし、家族の在り方が、デタラメな方向にまっしぐらに向かっている今、
俺は最初から、相談にくる家族に「嘘」がないか、
「嘘」という自覚がないまでも、何か重大な隠し事をしていないか、
そこまで念頭において、動かねばならないのである。
中には、業務を請け負ってもらえるまでは、
「子供のためなら、何でもやります」とか言っておいて、
いざ始まると、梯子をはずすような行動に変わる親もいる。
挙げ句の果てには、
「押川さんが、そうしろと言ったから!」
「押川さんに、あんなことを言われたから!」
と、責任転嫁をしてくる親もいる。
このような親ほど、子供にも同じように、
その場しのぎの振る舞いで、ようは嘘ばかり吐いて、接しているのだ。
親が嘘を吐けば吐くほど、問題は複雑になっていくし、
それだけ子供が助かる確率も減っていく。
同時に嘘が多い親の子供ほど、説得が難しい。
親の、素直ではない、いわゆる超めんどくさい部分を、
子供もそのまま受け継いでいるからだ。
しかも俺は、そんな「嘘つき」の親から依頼を受けて動いているわけで、
子供が俺に対して、最初から不信感をむき出しにするのは、当たり前なのだ。
だから俺は、そういうところの子供と話をするときには、親もいる前で、
「お前の親はホントに! 嘘ばっかり吐いてどうしようもないな!!」
と、本当のことを、ズバッと言ってやる。
親は嘘つきだが、俺は本音でいく。
子供のお前はどうなんだ? と、突きつけてやるのだ。
こんなことをブログに書くと、
家族がびびって、俺に仕事を頼まなくなるかもな。
でも俺は書くぞ。
ガチンコだからな。
やってやるのだ、思い切り。
そして今年は、「命」の重みを突きつけられた一年でもあった。
「嘘」と「命」。
ぜんぜん関係ないようでいて、
実はとても密な関係にある言葉だ。