家族のかたち
世間では正月三が日から、家庭内のトラブルが相次だ。
各事件において、どういった経緯があったのか、
詳細はまだ分かっていないようだが、
当ブログの読者の方なら、俺が昨年、さんざん言い続けてきたように、
このような家族(親子)間のトラブルが今後も増え続けるだろうことは、
ご理解いただけると思う。
これは、この国における「家族」というものの形が、
過度期を迎えている証ではないかと、俺は考えている。
歴史の流れの中で、日本の家族の単位は
大家族から核家族へと変わってきた。
しかし、それに対応できなかった家族の問題が今、噴出しているのだ。
たとえば、俺への相談では、精神疾患を理由に働かず、
暴力や暴言で家族を束縛し、金銭的に依存している、
という30~40代に関する相談が、増加している。
この年代の家族(親)を見ていて非常に思うことは、
もはや一族としての力は失っているのに、
親だけが「家名」や「家柄」にしがみつき、
子供にもその生き方を強要してきた、ということだ。
一族としての結束力があるわけでもなく、
伝統として子供に残せるような価値観もない。
一方で、世間体・見栄を優先するあまり、親から子への愛情もなく
「経済力=愛情」といった育て方をしているケースも多い。
子供の自尊心や自立心が育たないのは、当たり前である。
一昔前なら、それでも「放蕩息子」として、
ぶらぶら生きていく選択肢もあったかもしれないが、
今の世の中は、経済的にも社会的にも、それを許さない。
しかし多くの親たちが、そういった世の流れに気づかず、
子供には、「家柄に見合うような」人柄、進学先、肩書きを求め続け、
「親兄弟を大事にしろ」という概念を、洗脳のように植えつけてきた。
そのように育てられてきた子供たちは、進学や就職の段階になって初めて、
自分の能力が、社会に適応しないことに気づいてしまった。
時代は変化しているのだから、当たり前なのだが、
そこでも親は、子供の苦しみを慮ろうとせず、
一方的に「働け」「結婚しろ」などと前時代的な価値観を押しつけまくり、
都合が悪くなると、子供を「こころの病気」として放置した。
子供たちは今になって、「お前の育て方が悪かったのだ」と、
親(もしくは、自分よりも社会適応して生きている兄弟姉妹)
に、怒りを向けている。
だから、家庭内での事件も増える。
こうした流れを踏まえても、
これから先の時代は、家族がそれぞれ、
いかに「自立」して生きられるか、をしっかり考えることが、
大きな課題になるのではないだろうか。
家族というかたちについて、法律や制度上で、
変えられること、変えるべきことも、たくさんあるように思う。
幼い子供への教育のテーマも「自立」に尽きるし、
それを大人たちが真剣に考えていくことが、
この国に底力をつける、方法の一つではないだろうか。
そのなかで、俺は俺の役割として、
今、親に依存し、家庭内で暴れている若者たちに対して
いかにして家族と距離を保ち、自立の道を歩めるよう導くか、
という問題に、真摯に向き合っていくつもりだ。