こころの動き=金
最近、思うことは、「こころの動き=金」
の世の中になったなあ、ってことだ。
家族の問題に携わっていて、今や、
親から子への純粋な愛情、みたいなものには
滅多にお目にかかれなくなってしまった。
それでも俺は、なんとか問題解決をしなければと思って
一生懸命、家族の話も聞くし、本人(対象者)に関する調査も行う。
そうするとかえって、「この親は、どうしてこういうことを言うのか」
「この対象者は、なぜこんな問題行動をとるのか」
という、家族の言動の矛盾があらわになっていく。
そこを突きつめてとことん調べたり考えたりすると、
根底にあるのは「金」だった、ということが本当に多い。
そういう親ほど、ちょっとした「小金持ち」で、
俺の前では「金がない」「金がない」って言うんだけど
実は不動産を売ったり買ったりしていたり、
けっこう贅沢な物に囲まれて暮らしていたり、
なんていうか、経済活動が超お盛んなんだよな。
そういうところの子供は、やっぱり「金」「金」言っているし、
親がなぜ、その子供を排除したがるかと言うと、
働かない、金の無心をする……といった理由で、
自分たちの経済活動の邪魔をするからだったりする。
親が言う「世間体」すらも、=金になってしまった感がある。
たしかに昔も、世間体を気にして、家族が俺に嘘を吐くことはあったけど
あくまでも、家族の恥をさらしたくないという見栄だった。
それが今は、金をうまくまわすことが、世間体を守ること、みたいになっている。
だから、子供が問題を抱えて、家族もぐちゃぐちゃになっているのに、
どうやったら金を遣わずに問題解決できるか、
俺みたいな第三者を、どうやって安い金でこき使うか、
最初からそういうノリで来る家族の、多いこと多いこと。
だけど家族にしても子供にしても、
「こころの動き=金」になっている人物と、
信頼関係を結ぶことや、自立にまで導くことは、
正直なところ、非常にハードルが高い。
そんなことは、読者の方でも、分かることだと思う。
でも、そういう家族や子供ほど
「金払っているんだから、全部何とかしてくれよ!」
という要求だけは、ものすごく高いのだ。
こういう家族の姿を間近で見てきて、
凄まじいけど、ひどく哀しいものを見せられているような気がしている。
俺の感性では、もはや来るところまで来たなって感じだ。
そろそろ「こころの動き=金」という価値観も、
ひっくり返されるときが来るんじゃないかな。
そういう日が来ることを思うと、俺はやっぱり
こころでつながれるひとたちを、大事にしようと思うばかりだ。