俺の仕事についてつらつら書く
医療にかかる必要のあるひとを、医療につなげる。
言葉にすると簡単だが、そこに至るまでには、
さまざまな業務をこなさなければならない。
スタッフによるヒアリング(聞き取り)だけで何時間もかかるし、
その後の俺の相談(面談)を経て、業務依頼となれば、調査や視察を行う。
その結果をもって現状を緻密に分析する。
危険予測、危険排除、コンプライアンス遵守のチェック等も欠かせない。
病院確保のサポート、公的機関への協力要請も行い、
移送日の数日前からは、現場に前乗りし、本人の様子を最終確認する。
なぜそこまで徹底するかというと、うちはあくまでも民間企業なので、
公的機関が対応できないような超難関の相談ばかりがもたらされる。
隅々まできっちり仕事をしないと、こちらが甚大な損害を受けることになるのだ。
テレビの特集で放映されるのは、本当にそのごく一部でしかなく
現実は、あんなふうに簡単に「よかったね」で終わるような業務ではない。
ときどき、「テレビで見たみたいに、うちも……」と軽い気持ちで
問い合わせをしてくる家族がいるが、まずは公的機関に相談に行くべきだし、
公的機関の専門家に動いてもらえるよう、誠心誠意、腹をわって相談するほうが現実的だ。
それでもだめな場合には、民間という選択肢が出てくるだろうが、
NPOを含め、今は色々なスタイルで問題解決に当たっているところがあるようだ。
いくつか当たってみて、家族が「ここなら」と思えるところを探し出す努力をすべきだろう。
俺のところは、超最難関の案件だけを扱っていくシステム、仕事のやり方が
すでにできあがっているので、経費も含めて報酬もきっちり頂く。
だからこそ、扱えるケースの数は限られ、ほかの機関でも対応できるような案件については、
問い合わせの段階で、その旨を案内し、お断りさせていただいている。
とにかくスレスレ・ギリギリのグレーゾーンの案件を請け負っているのである。
家族も命がかかっているだろうが、俺も命がけだ。
だから家族に対して厳しいことも言うし、家族が隠している一面を暴くこともする。
そこまでやらないと、家族とも患者(対象者)とも、信頼関係などできやしないのだ。
その辺は、テレビの特集では取り上げることが難しい。
取材をされる側の人間として、テレビの限界を感じることもある。
毎日せっせとブログをアップしているのも、今度本を出版するのも、
すべては足りないところを補うためだ。
しかし、仕事とはそもそも、そういうものだと思う。
試行錯誤、心象の錯誤、噛み殺したはずの感情の激突……
それらは、家族と対象者だけでなく、家族と俺、対象者と俺、
どこを拾ってみても、出てくるものだ。
俺は昔、警備業をしていたのでよく分かるのだが、
東京スカイツリーの建築やリニアの開発など、高度なモノ作りにおいても、
完成までの工程には、人間のさまざまな醜態がぶつかり、火花が散りあっていたはずだ。
すべては、問題解決のためである。
俺は、後世にまで残るようなモノを作れるわけではないが、
家族と対象者、それぞれの決着点に、バランスよく着地できたとき、
心に響く感動や、心底から湧き上がる喜び、清々しい気持ちを、味わうことができる。
そうやって超難関の案件を、愚直に積み重ねながらやってきたからこそ、
精神保健分野の問題点も見えてきたし、
スペシャリスト集団の設立、人材の育成など提言もうまれてくる。
昨今の家庭内の殺傷事件増加の要因の一つには、
専門家が増える一方で、家族と専門家の距離が離れていることが挙げられる。
だからこそ、本当の意味で、この分野に足りないところを補いたい。
つまりは、世の中にたくさんいる専門家が、この問題を解決しやすいようにすること。
そこに到達することが、俺の目指すゴールだ。
さて、昨年末から取りかかっている超難解な案件だが、
そろそろ調査・視察の第一段階も、終わりが見えてきたので
思っていることを、つらつら書いてみた。
そんな俺が今一番、こころに思い描いているのは、
「雑煮が食いてー!」ってことだ。
二週間以上、ほぼ毎日、ファーストフードか、ファミレス。
これは、さすがにきついな。
今はとにかく、季節が外れそうであるが、雑煮、雑煮だよ。