三カン王
思い起こせば俺は小学生のときから、学校の教師に対して
「お前の言うとること、本当か?」と、疑ってかかるような子供だった。
実際、しょっちゅう教師に食ってかかっていた。
だけど成長するにつれ、まわりの大人から、
「本当のことをズケズケ言ってはだめだ」とか
「他人には丁寧な言葉で話さないとだめだ」とか言われるようになった。
俺には、意味が分からなかった。
「丁寧な言葉で、表面的な会話しかしないのは、
アンタが話す内容も言葉も、持っていないからじゃねーの?」
と、思ったことをそのまま言って、また叱られた。
20歳を過ぎてもそんな調子だったから、風当たりも強く、
「俺は、サラリーマン社会の中では生きていけないな」
と考えるようになった。でもメシは食っていかなきゃいけない。
おりこうさんを演じずに、どうやってメシを食っていくか……
その折り合い線を探すことに、必死になった。
そしてたどり着いた答えが、
「ひと様がやりたがらないことをやろう」というものだった。
それが、今の仕事につながっている。
でも、いまだに俺の体質は変わっていなくて、
たとえば家族の言っていることに対しても「本当か?」とまず疑うし、
どっかの企業のお偉いさんや、専門家のもっともらしい話に対しても、同じだ。
だいたい今や、「長生きするには○○」「成功するには○○」と
あらゆる情報がもっともらしく蔓延しているけど、
そのほとんどが、オバちゃんの立ち話レベルじゃないかと俺は思っている。
道いっぱいに広がって立ち話をしているオバちゃん。
何の大事な話をしているのか知らんが、後ろから車来てるぜ!?
ひかれて死んだら終わりやん、っていう。
だから俺は、自分で確かめて、自分で決めないと、気が済まない。
相手が誰であっても、言いたいことは言うし、
筋の通らないことをされれば、冗談じゃね―ぞと、ケンカもする。
唯一自分に課して、守ってきているのは、法律を守るってことだけだ。
安定とはほど遠い毎日なのだけど、その分、「勘と感覚と感性」
……この三カンだけは、絶対の自信を持てるくらいまで、磨かれてきたと思う。
なんていうか俺は結局、「自分は未完成だ」という意識が強いんだな。
言うまでもないが頭も見た目も生まれつき悪いし。
当然、この年になっても、まだまだ成長過程だと思うからこそ、
上品ぶって偉ぶって、オシャレな言葉を吐いて過ごすのは、非常に居心地が悪い。
ストレスもたまりまくる。
俺の脳みそのレベルでは、しょせんは未完成のまま死んでいくのだろう。
だったらなおのこと、「勘と感覚と感性」の三カンをさらに磨きまくって、
本当に俺を必要としてくれるひとのためだけに、生きていきたい。
最近はそんなことばっかり、考えちゃうのだ!!