ある女性の死

先日、携わっていた人間がまた一人、この世を去った。まだ、30代前半だった。

彼女は、小学生の頃からシンナーをはじめ、覚せい剤も相当な量を摂取してきた人間だ。出会いのきっかけは、知り合いの警察官が、「覚せい剤使用の罪で服役し、出所したばかりの女性が、更生したいと言っている。一度、話を聞いてやってもらえないか」と言ってきたのだ。

うちは基本的に、家族からの依頼しか請けていないのだが、地元の人間ということもあり、「本気塾」に呼んで話を聞いた。

 

彼女は、暴力団には属していないが、コネクションは多数持ち、10代から、魑魅魍魎の世界を生き抜いてきた。女一匹狼という感じである。

たしかに悪いことばかりしているのだが、少し話をしただけで、頭のいい奴だな、ということが分かったし、根っこの部分は悪い奴じゃないとも思えた。だから、「塾生にはしてやれないが、見習いということならええよ」と、出入りを許したのだ。

それからたびたび、本気塾に話をしにきたり、困ったことが起きると、相談の電話をかけてきたりするようになった。

 

「シャブはもうやりたくない」と言い、自ら精神科病院に通い、治療を受けていた。精神科医泣かせの患者でもあったが、こころある医師と出会ってからは通院ではコントロールが効かなくなった際には、進んで入院治療を受けるようにもなった。更生したいという言葉に、嘘はなかったと思う。

しかし、地元のそっちの世界では有名な存在であるがゆえに、悪い仲間に誘われることは、たびたびあったようだ。過去の生き様が、彼女をなかなか解放してくれなかったのだ。

精神的に不安定になり、向精神薬の大量服薬による自殺未遂を繰り返したり、ヤクザ相手にトラブルを起こし、命からがら逃げ切ったり……そんな時期がしばらく続いた。

 

覚せい剤をやめてからは、昼間から大量のアルコールを摂取しており、身体はボロボロだったと思う。そんなに長くは生きられないだろうということは、俺も、うちのスタッフも、なんとなく覚悟はしていた。

しかし、こんなに早く亡くなってしまうとは、想像が及ばなかったのである。

 

この1、2年は、俺のほうがすっかり忙しくなってしまい、「会って話がしたい」と言われても、なかなか機会を作れなかった。しかし、うちのスタッフとはよく電話で話をしており、俺も逐一、報告を受けていた。

昨年には、悪い環境を断ち切るために、遠方に引っ越しまでした。「施設に預けている子供をひきとって一緒に暮らすつもりだ」と張り切ってもいた。「ちょっとはまともな親の背中を見せなきゃ」と、かたぎの就職先も探していたようだ。

けっこう律儀な奴で、毎年、年賀状をくれていたのだが、去年までは、ワケのわからん文章が震える字で書いてあったのに、今年に限っては、きれいな整った文字で「『育自』を頑張ります」とあった。

身体の調子は相変わらず悪く、不安に陥ることもあったようだ。それでもスタッフとの最後の電話では、「押川先生に会えるまでは、死ねませんからね」と笑っていたという。

残念な気持ちでいっぱいだ。

 

死因は、覚せい剤の大量摂取だと聞いた。まさか……という思いと、やっぱり……という思いが、錯綜する。これまで百戦錬磨とばかりに、命の危険をもかいくぐってきた彼女が、こんなにあっけなく、命を落としてしまうものだろうか。それも再び覚せい剤に手を出して!? こんな言い方は不謹慎かもしれないが、彼女は年季の入ったシャブ中であり、その分、知識も半端なかった。致死量がどれくらいかということくらい、よく分かっていたはずだ。

他にもいろいろ腑に落ちないことはあるのだが、一方で、こうしてあっさり死に至ることが、薬物依存の恐ろしさだ、とも思う。俺たちは本人とのつながりしかなく、その本人が亡くなってしまった以上、真相など知りようもない。

 

今年の年賀状には、般若心経の一節だといって、こんなことも書いてあった。「正しく生きるのは難しい。でも明るく生きることは誰にだってできる」

悪いことばかりやって、面倒くさいところもあったけど、いい奴だった。