真面目か不真面目か
法を逸脱する行為をして道を誤ったあげく、
「更生したい」と俺のところに来る若いひとがいる。
資質も性格も経歴もさまざまだから、
そのひとがそこから本当にやり直せるか、新しい道を切り開けるかは、
ある程度、年数が経たないと見えてこない。
だけど俺には、「こいつは大丈夫や!」と判断する基準が一つある。
それは、その人間が、「真面目か不真面目か」ということだ。
根が真面目な人間は、本質のところを教えただけでも、
自分から、真っ当な道を選んで歩くようになる。
反対に、根っから不真面目な人間は、
周囲がいくら頑張って、多少は良い方向に持っていけても、
きっかけ一つで簡単に、また堕ちてしまう。
とはいえ、俺の思う「真面目・不真面目」は、
一般的に言うそれとは、少し違うかもしれない。
俺が思うに、「真面目な人間」というのは、
=「結果を出すために邁進できる人間」
これに尽きるのではないだろうか。
俺が携わってきた若いひとで、
「こいつは真面目やなあ!」と思える奴は、
例外なく、その部分が備わっていた。
たとえば俺やスタッフが、「こうせな、あかんよ」と一つ言うと、
そこに向かって、一心不乱に努力するのだ。
その調子だから、仕事をさせれば、
きついことがあろうが、辛いことがあろうが、
ブルドーザーのように突き進んで、結果を出してくる。
反対に、「不真面目」な奴というのは、仕事にしても何にしても、
うまくいっているときはすごく調子がいいのだけど、
ちょっとでも辛いことや自分に不利なことがあると、
言い訳をしたり、泣き言を言ったりして、簡単に投げ出す。
結果を出す、何かを成し遂げる、ということに対する真剣さがないのだ。
じゃあ、「真面目」な奴と、「不真面目」な奴、
いったいどこで違いが生まれるのだろうか。
面白いことに、「真面目」な奴ほど、子供の頃は放任主義で育てられ、
違法行為にしても、めちゃくちゃなことをやりまくり、
一歩間違えば、命を落とすようなことまで、してきている。
言ってみれば、こころの中に壁がないんだな。
だから俺が教えてやるのは、
親が教えてこなかった遵法精神や、倫理・道徳観だけでいい。
あとは、そこさえ踏みはずさないように、伸び伸びと突き進めばいいし、
まともな結果も生まれるようになる。
反対に「不真面目」な奴は、
意外と親から「見栄」や「世間体」で縛られて育ってきて、
悪事にしても、それほど派手なことはせず、知能犯的な悪さが多い。
表面だけ見たときには、受け答えもそつなくこなすし、
勉強もできて、いい学校出身、という経歴もある。
俺が話すことに対しても、さも分かったような振る舞いをするけど、
いざとなったら、ちょこちょこと手を抜くような仕事しかしない。
だけど、言い訳やごまかしだけは超うまいから、
周りはいよいよになるまで、そいつの人間性に気づかない。
これは、一般のひとでも同じだと思う。
俺が、「このひとは真面目やなあ」=「結果を出すひとやなあ」
と思うひとは、たいてい若い頃にむちゃくちゃなことをやってきている。
その分、しゃべり方や振る舞いも一筋縄ではいかなくて、
パッと見た感じは、とても「不真面目」に見える。
一方で、立ち居振る舞いもそつなくて、言葉遣いも丁寧で、
立派な経歴をお持ちで、パッと見は超「真面目」にみえるひとほど、
一緒に仕事をしてみたら、まったくもって適当で、
「なんだ、ぜんぜん真面目じゃねーじゃん」と思うことは、
とくに俺の世代(40代)では、本当によくあることだ。
つまり何が言いたいかと言うと、
そろそろ真面目と不真面目の定義を、
考えなおしたほうがいいんじゃないかな。
親であれば誰しも、わが子に対して、
不真面目よりは真面目な人間に育ってほしいと思うだろう。
だけど、表面的な躾や教育だけして子供を縛ったところで、
社会に出たときに「結果を出せる」人間になるとは限らない! ってことだ!!