自分という商品
俺の仕事は、対象者や家族と相対しないことには成立しない。
相対したときには、良い方向にもっていける自信があるけど
そこにたどり着くまでには、ヒアリングや面談、そして調査など、
事前の準備が欠かせない。
だから一つのケースに対して、
半年、一年という時間がかかることもある。
「効率」という点だけみたときには、
あまり良いとは言えないのである。
そんなとき俺は、小説や音楽、映画などの力を考える。
一つの作品が、何百、ときには何万人もの心を動かし、
そのひとの人生を変えてしまうことすら、ある。
すげーな、と純粋に思う。
だけど近頃は、本もCDも売れなくなって、
それなりにヒットを飛ばした作家や音楽家でも、
専業でいられるひとは、ごくわずかだと聞く。
作品を売るために、テレビに出まくっているひともいれば
大学で教鞭をとるなど、他の仕事をしながら作品を作っているひともいる。
ひとよりも優れた才能を与えられて生まれた
作家や音楽家でさえ、そうなのだ。
肩書きや経歴がどれだけ当てにならないものか。
サラリーマンも、うかうかしてられねーぞ、と俺は思う。
言われたことを右から左に流し、
ひとの間をとって、金を抜いていくような生き方は、
もう淘汰されはじめているのだ。
この先、じいさんばあさんになってからも
せめて屋根のある家で寝て、メシだけは食っていきたいと思うなら
武器をたくさん持っておくしかない。
それは、「自分」という商品を磨きつづけることでしかない。
仕事においての能力や経験値を上げることもそうだし、
言葉や振る舞いを、より洗練していくこともそうだ。
といっても、ハウツー本に書いてあるようなやり方で
ただ、きれいに整えるのでは、誰にでもできるしつまらない。
いったんはめいっぱい汚れてこそ、磨きがいがあるってもんだ。
ときには、ひと様が「無茶だ無謀だ」ということにも
果敢に挑戦していかなければならないのだろう。
失敗して大損こくかもしれないが、そのときはそのときだ。
その繰り返しが、面白い自分を作るような気がしている。