無から有をつくる
いい仕事をしたい、仕事で成果を出したいならば
「無から有をつくる」ことが必須である。
たしかに世の中には、金で金を生み、
大金を手にしているひともいる。
ただし、その世界のトップクラスのひとは、
頭の出来が、桁違いに違う。
俺もひょんなことから、その世界のトップオブトップのひとと
話をする機会を得たことがあるのだが、
予言者か? というくらい、世界の経済の先の先をよんでいた。
そんなスペシャルな能力を目の当たりにし、
凡人の俺には、金で金を生むような錬金術は無理だなあと悟った。
だけど、だからこそ、「無から有をつくる」、
その努力を忘れてはならないと思うのだ。
これは芸術家のように何か作品を作ることとは限らない。
仕事をする上で、自分なりのやり方を編みだす。
自分にしかできない手法や話法をつくりだす。
それを日々磨いて、進化させていく。
それこそが人間的な成長につながるし、
そのひとの個性となり、武器になっていくと思う。
これって仕事だけでなく、親子の関係においても同じではないか。
だいたい子供が問題を起こす家庭ほど、
「手作り感」のない子育てをしているのだ。
「○○大学にいけばいい」「○○の資格をとればいい」
といった型にはめまくった子育てもそうだし、
どこかで聞きかじった子育てマニュアルをひっぱってきて、
「こうあらねばならない」と躍起になっている。
だから、家はいつも整理整頓されていて、毎日ごはんもちゃんと作って
子供にきれいな洋服を着せて、勉強もさせて……
と、表面的にはとても満ち足りた家庭なのに、
子供は常に「孤独」を感じ、殺伐とした気持ちを抱えて生きている。
親も子も、「そのひとらしい」生き方ができていないのだ。
精神保健の分野をみていても、そう思う。
行政の職員にしても医療従事者にしても、マニュアル重視、
それ以外は一切NO!という人間が、増えまくっている。
対“人間”の問題だからこそ、
「めちゃくちゃなところもあるけど、このひとじゃなくちゃ!」
という要素こそが、大事なんじゃないかと思うんだけどな。
「無から有をつくる」「自分なりのやり方でやる」ことには
失敗もつきものだし、非難されたり馬鹿にされたりする機会も増える。
だから皆、やりたがらないんだろう。
だけど、誰もがやりたがらないところにこそチャンスがあるんだよ。
頭をひねってひねって、「無から有」を目指して頑張るぜ。